Winny問題に対するインターネットの危うさ

Winnyの開発者逮捕に関してのコメントは、インターネット上のみで、新聞報道は、逮捕時だけでしたね。

では、これに関する考察を一つ。
インターネットは、今後どのように発展していくのか、これに関する、解釈の違いが今回の事件の要点だと思う。

使用していた側は、このソフトで構築される世界が、誰にも監視や、強制或いは、取り締まられる事のない世界であった。

逮捕した側の世界観は、自分たちが取り締まれない世界はない。
この場合、日本に居て、法律を犯す事黙って見ておれないという論理があった。

何時の時代にもあった、権力とそれに反逆するアウトローたちの対立と言う図式ですね。

しかし、今回の件が、京都府警の思い通りになるのか予断は許さないが、インターネットも初期の頃にあった自由(Free)という旗印は当の昔に消滅してしまったと言う事でよろしいでしょうか。

ですからこのようなblogは全て、或いはそれ以外の全てのテキスト、画像は監視されていると考えてもよろしいかもしれません。

インターネットにupすると言う事は、状況証拠を提供している事と同じと言う事です。

今後、こんな文章も暗号化されてどんどんアンダーグラウンド化していくのだろうか。

それだとblogの意味はないか。