遺伝子診断について一言

読売新聞大阪の記事を参考にしてください。

遺伝子診断は、神の領域に人間が踏み込んだのは間違い有りません。もし、本当に神が判断を下すのだと言うのだったら、納得せずともその判断を下すものが身近にいない分し幸せかもしれない。

出生前の遺伝子診断は、結果によって中絶することになり、明らかに生まれてくる子供の選別につながる。
しかし、一方で、自分の子供は、5体満足で生まれて欲しいと思う親の感情と、障害を背負って生きていく困難さを想像して中絶を選択する可能性は、無きにしも非ずである。

しかし、考えてみるとそれは、人として考えれば、身勝手な考えだと言う事に気付く必要がある。
なぜならそれを肯定する事は、障害をもって生まれてきた子供が全て不幸せだと言っている事に他ならない。

また、それに続く考えとして、普通にに生まれてきたのに、その後、事故または病気によって、体、精神に障害を負った人も淘汰の対象になるという理論につながってしまう。

方や出生前の胎児は、障害があれば抹殺しても良いが、生まれた後で障害を負った人や或いは年老いて体が動かなくなったような人は、人であるから抹殺してはいけないということがいえなくなってしまうからである。

母親の、お腹にいる胎児を、超音波検査で見れば、お腹の中にいるだけでなんら人と変わらない。心臓も拍動しているし、目も、鼻も、口もあるのである。

国にして欲しいことは、産婦人科学会にその規制を任せるのではなく、賛否両論ある中で最低限守らなければいけないことを法律で決めるべきである。
それが、出生前診断を認めて、更に今行われている非合法な中絶手術を合法化してもそれは構わないことである。
その中に、最低限守らなければならないルールが存在すれば良いのである。

このままの無法状態が続けば、また、産婦人科学会のガイドラインを守らない医師が必ず出てくるだろう。ガイドラインは守らなくても、学会の除名処分を受けるだけである。

このままの状態が続けば、子供をペットとしてしか考えられない親は、生まれてくる子供の遺伝子をコーディネイトして人工授精(あるいは代理出産も考えられるが)で自分の気に入る子供を作りかねない。
また、気に入らなければお腹の中で中絶してしまうだろう、そうなった場合、人間の尊厳そのものが失われてしまうだろう。今の世の中に人間の尊厳などはじめからありはしないのかもしれないが。

出生前の遺伝子診断は、やはり止めるべきだ。生まれてきた場合、国が親に対して育てるための支援を行うことが一番良い事ではないだろうか。