矛盾の話

昨日のテレビ朝日の『TVタックル』の放送を見て感じた事です。

この番組は、出てくる出演者が各々の自分の意見を述べるだけで結論を出さない。

そのため、声が大きいものの意見だけが耳に残る。

そこで、昨日の話題だが、自衛隊についてのものであった。自衛隊の存在意義に関するものといっても良いだろう。

ただし、意見を述べるものの前提が、
A:日本に他国が攻めてくることを前提とした自衛隊
B:日本に他国が攻めてこないことを前提とした自衛隊

この出発点が違うのだから、永遠に話はまとまるはずがない。それぞれの言い分の欠点は、
A:何時か必ず他国が攻めて来るとしたら、それが何時、どのような状況で起こるかの説明がないし、確定したものがない。
だからその理由も、他国でなく極端に言えば宇宙人が攻めてくるかも知れないというのでもいいのである。
自然災害も、何時起こるか分からないので備えがあれば憂い無しということが言えるが、自然災害のほうが起こる確率が高い。
仮定はあくまで仮定であるため、本当に侵略戦争が起きない限り軍備に投資したお金は全て無駄になる。

B:この場合、何時かせめて来る敵がいないとも限らない。近隣の国の政情が不安定なった場合、余波で日本にも来るかもしれない。そのための自衛隊だし、訓練も必要だ。
もし、全ての争いが話し合い、或いは口げんかだけで済めばよいが、人類の歴史は、ケンカが起きれば殴り合い、果ては殺し合いになる事は、人間の本性であることは証明されている。
軍隊を全く持たない国を、軍備を充分備えた国が、それを圧力として使う事は起こりえる。

人間は、生まれながらに悪なのか善なのかを証明しろというものなので結論は出ない。
敢えて言うなら後、2,3年は、日本が関係する戦争は起きないのではないかというもので、20年、30年後に戦争は起きないとはいえないだろう。

その予想できないものについて日本は、軍隊を持つ持たないを決定はできない。
もし、このまま人類滅亡まで日本がかかわる戦争は、起きないという保障があるなら、軍隊を持つのは無駄な事である。

では、もし核爆弾を持つ事が可能ならどうだろう。
戦術核などの、地域限定で装備する場合、大規模な軍隊を持たなくても対処できるのではないだろうか。
そうなれば、今の自衛隊を10分の1くらいにできるのではないだろうか。

ただここで問題なのは、日本が持てば、今まで核を持っていない国が核装備を開始したとしても文句をいえないことにある。

また、核兵器が小型になればなるほど、抑止力が利かなくなってしまう。
何故なら、戦術核ぐらいの被害を与えることは、通常兵器でも可能である。そうすると作戦として、通常の戦争でも用いられ始めると小から中、中から大までの境界が曖昧になってしまう。

本当にこの話は、矛と盾であり、一度始めてしまったら人類が滅亡するまで続く話である。

これも例え話だが、
自分の内の玄関に鍵が必要か?泥棒がいなければ、必要ないが、実際泥棒がいるから鍵が無いと安心して眠れない。
鍵は壊される事があるから、もしもの時のために木刀を用意していても、泥棒が拳銃を持っているかもしれない。
それなら、こっちは完全装備した用心棒を一人雇おう。すると泥棒は、3人くらいで来るかもしれない。
結局、自分の家も核爆弾を備えなきゃならなくなって、最後は、何かの拍子に爆発した核爆弾が連鎖反応的に爆発して日本が地球上から消滅しましたってことでお後がよろしいようで。

最後はくだらない例え話でした。