診療報酬引き下げ

診療報酬の引き下げが、政府の方針として決まった。

 その内容は、asahi.comから引用すると、

『政府・与党は18日、医療機関に支払われる診療報酬の06年度改定について、全体で3.16%引き下げることを決めた。治療行為や調剤などの「本体部分」がマイナス1.36%で、薬価・医療材料部分は同1.8%。初めて本体部分が引き下げられた02年度のマイナス2.7%を上回る過去最大の下げ幅で、医療費にかかる国の予算は約2370億円減らせる見通しだ。介護報酬については、0.5%の引き下げを決めた。 』

 全体で、3.16%の引き下げと言う事は、単純に病院の月の総売上(純利益ではない)が、1億円だったものが、9684万円になるということである。

 皆さんも御存知だと思うが、国、医療業界、国民の3者がそれぞれ負担をするということが言われているのだが、そもそも国の負担は、国民の税金を基にしているし、医療業界の売上が減少すれば、医療従事者や、医療業界に従事する人の給与が下がる可能性が有る。とても『三方一両損』といえるものではなく、国民の負担が増えるだけなのである。

 そもそもの原因は、医療技術の進歩が、医療費の増加に拍車を掛けているといえる。

 根本的に、医療費の赤字に歯止めをかける方策を講じなければ、また何年か後には、更なる国民負担を求められるのは確実である。

 少なくとも第2次世界大戦が終わるまでは、日本人の寿命は其れほど長くは無かった。(参照
 しかし、戦後、高度経済成長と共に、平均寿命は、右肩上がりに伸び続けている。

それは、まさしく高度医療によって、戦前だったら助からなかった人が、生き延びている事に他ならない。
 
 それも、国が国民の健康生活を守るという事で、国民全てが保健に入ることで達成されていたといっても良い。健康な人も、健康で無い人も平等に負担を受け入れ、少ない自己負担で平等な医療を受けることが出来た。

 しかし、今後もっと医療費負担が増えれば、受益者負担の増加という事が考えられる。簡単に言えば、年間医療費を100万円使う人も、年間1万円しか使わない人も同じ負担では公平ではないという原理である。実際緩やかであるが現実にそうなりつつある。それが、窓口負担である。現在、大部分の人が三割の自己負担を行っている。

 今後、その負担が更に増える可能性が有る。現在でも一回の通院で、検査を行えば、1万円以上の自己負担を求められる事が多くなってきた。以前の1割負担の場合、それ程神経質にならずに済んだものが、そうはいかなくなってしまっている。

 また、個人の自己負担が増えたため、外来受診者が抑制されるかといえばそうではない。やはり自分の健康が心配であれば、病院にかかるのである。厚生労働省が予想した、受診者減は達成できなかったといえる。
 
 それも当然の事である。効果が本当に期待できるか解らない健康食品やダイエット食品に、多大な出費をする国民である。まだ、国民の懐は豊かである。でも、この先は、わからない。GDPが減少していけば、国民の收入は相対的に低下するし、競争社会の原理に基づけば貧富の格差は今以上になるだろう。そうなった時、金を持っている人だけが特別の医療を受けられる事になるのではないだろうか。

 実のところ、こんな事を書いている自分自身が、医療全体の仕組みがどうなるか解らない。ある意味、無責任に書き飛ばしているには違いない。でも、医療業界に加担している自分が想像できる範囲では、国民の自己負担が増えることは間違いないし、最先端の高度医療を受けるためには相当な自己負担が必要になるのは間違いないと思われる。

 でも、今後の日本が果たして文明国として存在できるかも不確かな事である。もし、日本の経済が破綻し、債務国になった場合、東洋の島国であるこの国が、世界から見捨てられないとも限らない。

 そこまで行かないかもしれないが、現実は、余り上手く言っているようには感じない。人それぞれ多少なりとも感じながら、その感じを感じたふりをしないように生きているように思える。
 実は、自分もその1人である。日本という国の生き末を案じながらも、自分の現在の環境が激変しなければいいやと思っているのである。

 それはあたかも川を流れる葉っぱについた毛虫のようである。エサの葉っぱに乗っかっていれば、自分が川に流されている事など気にならない。自分の運命に気付くときは、葉っぱを食べつくす時か、海に出て波に飲まれてしまう時だろう。
 或いは運がよければどこかの川辺に引っかかりエサにありつくことが出来るかもしれない。自分が過酷な運命に晒されていたことなど知らず。