無向三軒両隣

むかし、近所づきあいの事を無向三軒両隣といった。おおむねこの範囲だけは、最低でも知り合いになっておけよと。
 昔だと、それがうざったくもあり、隣近所のおばあさんおじいさんに遊んでいるところを注意されたりすると、逃げながら「××ジジイ」「××ババア」と叫んで逃げたものである。
 それも、今では余っ程危険な遊びをしていない限り注意もしないし、見て見ぬ振りをすることも多くなった。他人事に関心を持たなくなったというより関心を持つことで余計な負担をする事が嫌になったというべきだろうか。

 それが顕著に出たのが、最近続けて起こった、女子高生や20代女性姉妹の殺人事件である。事件当日、女性の悲鳴が聞こえていても直ぐに警察に通報されなかったことである。

 最近の色々な事件もそうであるが、無関心が是であるとするなら、自分が実際の被害者になった場合も同様の状況になる可能性が高いという事である。
 自分だけでなく息子や娘が被害にあい、悲鳴を上げても周りが無視をして死んでしまうという状況を想像してほしいものである。
 
 確かに、自分が行っている事に干渉される事は感じが良くない事である、しかし回りに見られている或いは干渉されるという事は、犯罪行為にかかわらず、行動をエスカレートさせる事を防ぐ効果があると思う。
 確かに、過度な干渉はゴメンこうむりたいが、適度な干渉は必要ではないのだろうか。

 ここいら辺りのさじ加減が難しいところでもある。