安楽死、尊厳死の問題

昨日の話のつづき。

 この問題は、サラッと書けるほど簡単な問題ではない。それを書いてしまうこと自体無謀なことである。それを了解した上で更に追記。

 もしかしたら、安楽死尊厳死は、医療資源やその治療に掛かる費用の問題と少なからずリンクする。

 一部の医療関係者からすれば、治療しても効果が無い場合、ただ延命という目的のためにベットを使い、医療資源が消費されることは不経済だと考える意見がある。
 その医療資源を、別の治療を要する人に当てるべきだと。

 その側面からすれば、本当にその行為が必要かどうかを、一定のルールに従って判断を下す必要がある。そこで法律が必要になる。
 ここまでのレベルは、治療が必要ないという明確な基準があればだれも後ろめたい思いをしなくて済むからである。

 今後、年金問題とともに、医療も大問題となってくる。何故なら、団塊の世代と呼ばれる人たちが、その領域に到達するからである。
 年金と同様、資源を有効に効率的に使うという命題の元、医療行政は進んでいくはずである。
 その命題の解決を誰に任せるのか?自分(自己責任)、肉親、はたまた国?