いじめについて考えたこと

今朝のTVニュースで、小学6年生がいじめを苦にした遺書を残し自殺していたと放送していた。これに関しては、教育委員会がその遺書の存在を知りながら充分な調査をしていなかったということが報じられていた。

 いじめは、はっきり言って子供の頃だけの話ではなく、大人社会にでもある。ただし、大人社会では、いじめという表現ではなく、嫌がらせと呼ばれる違いが有るだけである。どの年齢でも起こりうることである。

 だからといって、いじめを肯定するつもりは無い。ましてや、情緒不安定な時期である低年齢の頃に、極端な言葉による攻撃や、暴力、仲間はずれなどの行為を受けたものがどれだけ傷つくか想像に難くない。

 今の大人でさえ、そういった仕打ちを受けた場合精神的な苦痛は計り知れないだろう。ただ、子供と違うのは、法的に訴えたり自分で行動できることある。子供の場合、訴えるのがせいぜい担任の先生や自分の親でしかない。
 
 しかし、その子供の言葉を真剣に聞いてくれる人に当たれば幸せだが、運悪く、逆にいじめの原因が自分だけにあり、その解決方法を子供にだけ背負わせる場合は最悪である。

 新しい司法試験が始まり、弁護士も増えてくる。その仕事の一つに、子供の人権を守ることを新しく始めてはどうだろうか?子供が相談する別なルートが出来るだけで、少しはこういったことが減るようになるのではないだろうか。

 
 子供の頃、自分も年上の少年に分けも無くいじめられたことがある。今思えば何故立ち向かわなかったのだろうと思う。ましてや自分には年上の兄も居たことだし助けを借りることも出来ただろう。しかし、何故かそれをしなかった。またそのいじめも、何回かのものだったのでそんなに追い詰められるほど苦しくは無かった。

 その反対に、いじめた事は無かったといえば嘘になる。小学低学年の頃女の子をいじめていた、というより毛嫌いしていた。なぜかその子のことが嫌いだった。だからといって暴力を振るったり、乱暴な言葉を言ったわけではないが、避けていたという方が正しい。しかし、その感情も学年が進むにつれ変わってきたことを覚えている。少し大人になったのかもしれない。またその子も変わっていったのかもしれない。

 小学、中学に進むにつれ、少しずつ大人になり優等生に見せたいという気持ちが強くなっていき、いじめをしなくなった。逆にいじめられる子がいても、傍で見ているようになったというのが正しいかもしれない。それは積極的にいじめをすることに興味がなくなったのだろう。また、その頃学校や、新聞、本などでいじめはいけないと積極的に教育された成果もあったのだろう。良い人間はそんな事はしてはいけないという思いができたのかもしれない。

 自分もいじめたいじめられた経験があり、偉そうなことはいえない。社会人になっても嫌がらせに近い行いを受けたこともある。良い大人が馬鹿じゃなかろうかと思う。或いは自分もそれに近い行いをしてはいないかといえば無いとはいえない。それも良い大人のくせにというしかない。

 この年になると、そう言ったこともあるのが人間社会であると認識するしかない。それに耐えることが出来なければ無人島で一人で暮らすしかないだろう。