代理出産

今日の話は、代理出産の話題

 向井亜紀さんがアメリカで、代理母によって出産した子供の出生届けの受理を品川区役所が認めなかった裁判で、高裁が出生届の受理を品川区に受理するよう命じた判決が出たが、品川区は、その結果を受け最高裁に抗告した。

 親子関係は、どこまで法的親子関係と認めるかの話である。世間的な感情から言えば、子供として親が育てる気持ちがあるのだから親子として認めれば良いのではないかというのが本当の所だろう。

 しかし、法律の世界では、それで全て許されると言うわけではないだろう。例えば、日本でそれが行われたとして、代理母が親権を主張した場合や、出生した子供に深刻な障害などがあり出産を依頼した側が子供の受け取りを拒否した場合など、子供の親権がどちらにあるかを法律で線引きをしておかなければならない。
 また、出産の制度として、代理母の存在そのものが日本では認められていない。もし、今回のような場合、日本で行ったとしたら親権はその代理母にあるということになっていただろう。
 それを逃れるためにアメリカで行い、そのまま日本に子供を連れて来てしまって、なし崩し的にそれを認めさせようとした向井さんの行為も少し逸りすぎたのではないだろうか。

 もしことを穏便に進めるとしたら、アメリカで何年か子供を育て親子関係としての事実を作ってから帰国する方法もあったのではないだろうか。ただ今回のことは、相当計画的に行っており、日本で代理母の制度を認めさせようという本心があって行ったのだと思う。

 科学の発達によりいささか親子関係は何なのかと言うことが分かりにくくなってきた。例えば、実父の精子の代わりに別な男性の精子を使用して人工授精し妊娠しても、親子として認められる。或いは、卵子精子とも親のものでなくても、それを体内に戻し出産しても親子である。そうすると今回の用に、卵子精子が親のものであり仮腹であった場合は、親子関係を認めないのかということで、解釈にねじれが出てくる。

 自分の感想をいえば、これまでの通り、母体を通して生んだ結果を親子関係とするべきではないだろうか?それが、遺伝子的なつながりが無くとも。代理母を使って生む場合は、遺伝子的な親子関係ではなくあくまでも養子という扱いにするべきではないだろうか。

 何故なら、子供を生むことにも格差が生まれてきてしまうからである。言い方が悪いかも知れないが、金さえあれば出産の苦痛も他人に任せることが出来る世の中が来そうで怖いのである。

 後、付け加えるなら、もし遺伝子的つながりや自分の出産体験を気にしないのであれば、養子という方法もあったのではないだろうか。
 まだ日本には、生まれて直ぐ捨てられ孤児になる赤ちゃんが多くいる。また出生できずに堕胎される子供も沢山いる現実がある。そう言った方面に目を向けるよう発言してくれたらどれだけこちら側で温かく見守れるだろう。
 
 今回の件、向井さんにそれを求めるわけには行かないのだが、何か、TVの映像からだけでは個人のエゴがところどころ垣間見られるようで、見ていると何か悲しくなってくるのは自分だけだろうか。
 
 それにしても精子卵子の段階で選別され生まれてくる人間とは何様なのだろうと思う。