代理出産の件続く話題

代理母の件、今度の新たな展開として、実母のお腹を借りたという話が出てきた。日本で行うとすれば、確かに血縁関係のある実母の腹を借りれば後々の問題も少ない方法かもしれない。

 今の世の中、自分の愛しい娘のためなら自分が犠牲になってもいいわと言う母親がいてもおかしくない。その出産により重大な障害が自分の身に起こっても良いという心があれば、自分で責任をとると言うその範囲内で許される行為なのかもしれない。

 ある意味、ここでの子供の存在は、一種のステータスを守るため、或いは自己保身のために行われる儀式の結果として存在するものでしかない。そこには、今まで存在した種の保存という生命の神秘的なものを通り越してしまった感がする。

 それがこのニュースを聞いた時にある種の抵抗感を呼び起こすものであるのだと思う。

 医療は、格段に進歩したように見える。人間の細胞からクローン人間をも生み出せるようになったのだ。そして、子供の生命までも自由に作り出せるようになってきた。
 しかし、それは医療の進歩とはまた別な次元に存在する技術である。

 こんなことを書けば少し問題があるが、今回の出来事は、牛や馬と同じなのである。良い血統、或いは手軽な出産、そんなことを目指して家畜の世界では行われてきた。人間にとって家畜は、食べるため、或いは娯楽のための存在でしかなかったからである。もしかしたら同じことを人間の世界にも持ち込んでしまったのではないだろうか。

 しかし、自分たちが残さなければならないDNAにいかほどの存在価値があるか分からない。

 後、医師が行う治療行為。世間一般では、全て性善説に基づき必ず正しいことをしていると思っているかもしれないが、決してそんな事は無い。中には間違ったことや、名誉欲のため行うことも有る。中には、万能の神のような存在だと勘違いしている人もいるかもしれないのだ。