他人事

札幌でも耐震偽装問題が飛び火した。
 今回は、信念を持って構造計算書を偽造したらしい。しかし、そこに技術者がもつ誇りが欠けている。
 どんなにそれが正しい方法であったとしても、まずそれが正しい事を衆知させなければならない。また最低限、その方法で構造計算を行うということを依頼主に宣言する必要がある。

 今回の偽装は、自分勝手の思い上がりである。技術者魂の欠片も見られない。

 本当に毎日色々な事件が起きる。しかし、全てが他人事に思えるのも事実である。偽装されたマンションに住んでいるでもなく、自分の子供が殺されたりしたわけでもない。全て、かわいそうの一言で済まされてしまう。
 
 自分の家も空き巣の被害にあったが、話した人は、興味を示すだけで、例えば犯人逮捕に協力してくれるわけではなく、その場限りに終わってしまう。それ以前に、同じ被害が近所に起きていたのだが、自分にしても実際の被害が無ければ全て他人事であった。何か自分の家は大丈夫という変な安心感を持っていた。

 直接の被害が無ければ、全て世の中の基準は、他人事で流れていく。国の政策がああだこうだといっても、自分の人生に影響が無ければ積極的に関心を持とうとしない。

 少し話は違うのだけれども、その一つが最近のblog界で話題となった、町山知浩氏の話題である。
 元々のネタは、あるBlogerの日記から始まるのだが(リンクはあえて載せない)この記述が正に他人事であった。さらにこの人の人種差別的発言が更に燃料を投下している。
 ※これに関しては、これは読者を獲得するための大いなる釣りだと思う。それは、読者の興味が薄れる頃合を見計らったように、ネタを投下しているからである。ここに書くとまた興味を持った方がそこを訪れてしまうので逆効果になるのは解っているが話しを進めるに当たって書き加えた。

 町山氏の言いたい事は、「ホテル・ルワンダ」で起こったことは、いつ自分の身近に起きるか分からない事だよ、他人事でない、自分自信にもその事を自覚しておかなければならないという事であると自分は感じた。

 ここでもいえることなのだが、遠いアフリカの事件などやはり日本人にとって他人事であるという事実をあからさまに突きつけられた恐怖が連鎖反応のように伝播して他人への恐怖心、外国人への恐怖心が起こる、或いは起きるのだと感じた人が論争に輪を掛けてしまったのだと思う。

 では、他人事と思う人たちに、これは他人事ではないと悟らせる方法は無いのであろうか?どうしたら自分のこととして考えられるのか大事な問題であると思う。