使い捨てカメラ

使い捨てカメラの歴史は、結構長く、Wikipediaを見ると。1986年富士写真フィルムの「写ルンです」が最初であった。

 たしか、世に出た当初は、一般に「使い捨てカメラ」といわれていたが、それだと資源を無駄にしているという印象を与えるということで、メーカー側から「フィルム付きレンズ」と言う呼称を言い出したが、一般には「使い捨てカメラ」と呼ばれていた。

 それが、デジタルカメラとカメラ付き携帯の普及から、余り店頭に見られなくなった。それでも、スーパーのレジのところに置いてあったりするのを見ることがある。それは、写真屋さんの衰退とも連動しているのだが。

 「写ルンです」のCMと言えば、樹木希林さん、岸本加代子さんの印象が強いが色々な俳優さんがいたようである。
 確かに、旅行に行ったとき、ついカメラを持って行くのを忘れるときがあったし、そういったとき直ぐ手に入ると言うのが大変魅力的だった。

 と自宅に置いてある、使い捨てカメラを手に取り眺めていた。誰しも栄光の時代が少なからず有ったように、こいつにも栄光の時代があったのだ、言うならばオレとお前は同期の桜だったわけである。なんて、もう死に際のようにつぶやいてみる。

 自分の栄光の時代も後から来た後輩にその座を奪われたように。同じデジタルカメラと言う後輩にその座を奪われながら、それでもしぶとく生き残っているわけである。オレみたいジャン。それを労害と言う無かれ。

 それでも、よくよく見ると、機能はもう、普通のカメラと同じである。洗練されている。もう機能の付け足しようが無い状態に達しているのである。

 時代の流れと一言で片付けてもいいのかもしれない、また諦めが肝心とも思う。それに今まででも、上の世代を蹴散らす理由に技術の進歩を金科玉条のように唱えていた手前、実際に自分の身に降りかかるのもの故無いことかとも納得はしている。

 だけれども、技術が次のステップに到達したら自分は何をして生きていけば良いのだろう。悪あがきをして、その技術の進歩にくらい付くべきだろうか。そんなことを考える年になったと思うと、春なのに晩秋を感じる。