今朝の続き

カルトについて書き、更に宗教は人類を救えないと断じた手前、少し続きを書いておこうと思う。

 何故、宗教は人類を救えないのかについては個人的な考えで述べた。別に、自分は宗教学を専攻したわけでもない。その素人が何をのたまうのかと思った方も沢山居られることだろうと思う。

 追加して言わせて貰うと、信仰の素晴らしさを全否定するものでない。また自分が信ずる宗教或いは教えは、その人にとって有益な場合も多々あるだろう。この世に生まれ、他の人の手を借りずに生きてきた人は居ないはずであるし、少なからず他の人に手を貸しながら生きてこられた方も多数存在するのだと思う。

 また、信仰により素晴らしい人生を生きた、或いは生きてきた方も沢山居られるはずである。

 しかし、多くの宗教が、現世、或いは来世のでの幸せを得るために現世での修行をその人に課す。そして、精神的に昇華すれば得を積んだことになると教える。(これは、特定の宗教をさすものではない、例えである。)

 果たして、そこに約束された幸せががそもそも存在するのか疑問である。それなら、なぜ、自分以外の人をその信仰に加入させようとするのだろうか?
 神或いは似た様な存在を信仰するの構わない、しかし、その神は、人それぞれ千差万別である。全て同じものなど存在しないはずである。一人一人考えが違い、生い立ちが違い、更に歩んできた人生も違う。その元になる土台が違っているからには、人それぞれに存在する神は別なのではないだろうか。これは、人それぞれ心に色眼鏡を持ちそれを通して対象物を見るからに他ならないからである。

 偉そうなことを書いてしまったが、神は人それぞれの心の中にその人の独自の形で存在する。それは人の形をしているかもしれないし、或いは別の形をしているかもしれない。それがどんなに極悪非道の悪人だろうと存在するはずである。

 その内なる神を、何故他の人も信ずると思わなければならないのだろうか?きっと内なる神の存在を知らない、または気づかないのかもしれない。

 内なる神に対する信仰を持つのは自由である。いくらでも信心するべきだが、それを別な人間に伝えることは不可能である。