選挙は格差社会の象徴

統一地方選挙が全国で告示され運動が始まっている。選挙は、議会制民主主義の礎となるものである。ここで民意が反映されその結果多数決の論理で政治が行われるはずである。

 しかし、その民意の反映はとおの昔に、弱者の声は反映しないように実質なってきているのである。
 まず一つ、立候補者は、既に強者の群れの中にいる。議員バッチと、4年以上の任期が既に権威と報酬を約束しているからである。稀に選挙で借金を作り強者からこぼれ落ちるものはいるが概ね自分達は庶民より上の位置に居ると考えているものが殆どである。(例外は居るかもしれないが見たことも聞いたことも自分は無い)

 次に、投票権を行使する者の大部分が強者である。何故かというと、弱者は概ね選挙に無関心である。関心が無いこと自体既に国や地方の政策から外れた存在なのである。政治に無関心な殆どが自分達が弱者の側に追いやられている事を知らない。 選挙に無関心な層の殆どの自分達の意見が反映されない、或いはめんどくさいと思う時点で強者から弱者になっているのである。

 格差社会といわれてきたのはここ1,2年の間であるが、その根源は実は30年以上前から形作られていたのである。その原因が弱者の無関心に有ると知らず。
 
 景気の良い時代は、弱者にもそれなりの恩恵があり文句を言う人が居なかった。そのあと形ばかりの社会的救済と保護というご褒美でおとなしく黙っているしかなかったのである。

 その結果どうなったかというと、日本中強者しか富の再分配を受けられない社会になってきているのである。
 今から、弱者に投票しろ立候補しろと言う気持ちは無いが、そういう社会を作ってきた責任は弱者側にもあるのだと知って欲しいのである。
 当然この文章も、弱者には届かないだろうと思う。或いは読んでいる人自体に自分が弱者側にいるのだということも気づいていない人が居るのだと思う。

 権力は魔物である。やはり自分達の都合の良いように物事を決めていく。それに抗う力を本当に弱者の人間には無い。それを今変えるのは無理でも、選挙権は行使するべきだと思う。それが弱者にも強者にも平等に与えられた権利だからである。