故郷

北海道は、夜中雨が降っていた。この雨を水不足の地域に分け与えることが出来たらどんなに良いことだろうと思う。
 ニュースで、水田の水が無く田植えが出来ないと放送されていたが、米は、半年ほどで実りをつける、そのスタートが切れないつらさというのは画面から伝わってきた。

 故郷は、遠くに在りて思うもの。とよく言われるが、人それぞれ少なくとも一つ故郷を持っているはずである。そして、故郷に一生住み続ける人も居れば、遠く離れた地でまた新しい生活をする人もいるだろう。
 
 先ほど話題にした水不足を例にすると、水が有り余る地ではその水のありがたさが分からない、却って水が多すぎれば被害を生むこともある。もしその水が、水不足の人の住むところに持っていければ一石二鳥である。或いは、水が資源になり利益を生むことになる。
 今の日本は、都会にお金が集まっている。そのお金は行き場を失いバブルをまた産み出しているようである。そのお金の一部を故郷に還元する。これは乾いた土地に水を与え作物を育てることと同じである。やがてその育てた作物はまた都会に戻ってくる。
それが循環というものである。

 都会の住民は、普段の便利さがどれ程のエネルギーを消費しているか知らない。ドアは自動で開くことが当然だし、長い距離を移動するのに直ぐ近くに地下鉄、バスが引っ切り無しに運行していることの凄さ知らないのだ。そのエネルギーの一部は、都会から遠く離れた、山奥のダムで発電されていたり、海岸沿いの原子力発電所から送られているのである。

 しかし、その故郷はどんどん疲弊している。バスも電車も無い。病院も無い。都会と比べれば一昔前の生活を送っているのである。そこに都会の一部の資金を回すことが都会の住民にとって不都合なことなのだろうか?これ以上便利な暮らしが必要なのだろうか?

 もし、都会の住民が生活の豊かさを実感できないのなら、こうすれば良い。まず、都会への食料の供給を止める。更に、上流の川で水の供給をストップする、電力の送電をストップさせる。これだけでも都会の生活は麻痺してしまうだろう。

 都市の住民に、住民税の一部を出身地に回すという案を自民党が出しているが、基本の部分は賛成である。
 もし可能なら、地方の自治体で送電線を通る電気に税金を掛ければ良い。さらに水も地方の自治体で管轄できるようにし、利用量で税金を付加できる仕組みを作るべきである。原発が地元に無くても送電線はあるだろう。更に水源となる地方は、水源を維持するために森林を守り育てる努力を行っている。その見返りがあっても良いはずである。

 日本の繁栄の利益を都会だけが受けるべきではない。その利益をもたらした一部分は地方が担っていることを理解すべきだと思う。