地域格差

北海道にも今年初の台風が上陸しそうである。もし日本海を北上すれば、余り台風の勢力は弱まりそうに無いので、厳重な警戒が必要である。

 そして脈絡も無く話は飛ぶ。

 昨日、土地の路線価格が発表された。土地は、規制された一部を除いて自由に売り買いされているため、自由経済の象徴ともいえる。
 その結果というと、主要な都市が価格を上げている。北海道で言えば札幌もその一つに入る。

 自由競争なのだから、利益がその取得を上回ると考えるなら、大都市の土地を買い営業をするというのは資本主義の正しいあり方である。ここで言いたいのは、土地の値段を同一にしろと言うのではない。むしろ、金が集まるところには資本も集まってくると言うことなのである。
 競争原理であるから、土地の値段が安いことに目を付け資本がやって来ることも考えられるだろうが、それはまれで、やはり人と金が集まるところに資本は集まりやすいのである。

 そうするとどうなるかと言うと、極端な話、金があるところに金や人が集まると言うことなのである。一度生まれた不均衡は中々自由経済主義では是正されなく、何らかの力を働かせない限りその不均衡は収まらない。

 その不均衡を生んできたのが今の政府の経済政策なのである。地域の疲弊の原因となった公共事業の削減も元はと言えば、バブル崩壊のつけを地方が負担しているようなものなのである。
 バブルの頃の経済も、金は不均衡に都市に集中し、土地の値段を吊り上げ、都会に人と金は集まった。それがはじけとんだ途端、潮が引くように土地の値段も下がり、今までの好景気が嘘のように不景気に突入した。それが地方格差の始まりだったと言える。

 その好景気の間、地方の生活者もわずかながらにバブルの恩恵を受け、ある程度、日本の隅々まで地域の活性化が進んだ、一村一品運動もその表れだった。しかし、わずかばかりの恩恵(例えばふるさと創生基金など)でその後の不景気に突入したため、もともと財政基盤が細い地方は、その膨れ上がった地方公務員数を養うのが精一杯で地域振興に振り向ける金が無かった。もし地域振興にお金をかけるとするなら借金するしかなく、その象徴が夕張だったかもしれない。

 そのように、都会は充分景気の恩恵を受け、さらに不景気でも何とかやり過ごせる体力があった。しかし、地方はその体力さえも無く、若者は都会に流出し、人も金も両方失ったと言える。

 もし日本が、このまま自由経済主義をとるなら、政府の力で地域格差を是正するような政策を取るべきなのである。それは無駄な公共事業をするということではなく、地域に人が定着するような事業を進めると共に、やはり地方ならではの農林漁業に何らかの補助を行うべきなのである。それは、後継者の育成とセットでそれで生活できる地方を作っていくべきなのである。

 経済が、徐々にグローバル化し、一国の経済政策では抗えない時代に突入した今、経済に対しては自由競争を促し、市場原理に概ね任せるのが政府の仕事でしかなくなった。仕事の中心は自由競争を妨げるような動きがないか監視するのが主な役目と言える。そこで今後の政治の主体は、日本国民が平等に受益を与えられるような地域格差の解消に本腰を入れるべきときにきているのだ。