車社会

昨日は、出張からの帰り高速を通ったのだが、両脇の紅葉が素晴らしかった。この日曜或いは先週の日曜が紅葉の見ごろだった。日曜と言うこともあり、普段より交通量が多いのだが、渋滞というわけではなく、それなりの数であった。
 日曜でこれだから平日の交通量は非常に少ない。これが道央道であるから他はこれよりも少ないと言うことである。

 日本は、車社会になって久しい。思えば国鉄が民営化される数年前から北海道始まっていた。隣近所が1km離れ、買い物も遠くまで出なければならないところにが多く、その間に、バスやJRはもちろん地下鉄など存在しなかった。
 
 そしてあっという間に道内の家庭には車は必需品になった。それがもう30年以上の前の出来事なのだ。 既に家庭に車は1台以上が当たり前で、2台以上と言うのが多くなってきている。
 そして、その状況が却って過疎化に拍車をかけた。小さい成りにもあった町の雑貨屋が、遠くの町にできた大型スーパーに客を取られ廃業し、小さな町工場も、働き手がとられるとともに、流通の進歩で製品の競争力に負けるようになりそれも消えていく。

 田舎の暮らしは、車によって便利さを手に入れると同時に、自分たちの仲間になるだろう人間を手放してしまった。
 
 そのような状況にあるのはどこも同じだろう。過疎化の腹いせに車を手放したとしても、以前の暮らしはもう元には戻らない。却って生活に破綻をきたす。田舎暮らしのノスタルジックな夢は、TVの中にしかない。
 
 もうここまできたら、後戻りはできない。車社会が便利なように、道路を作り続けなければならない。それが定めである。もしここで車が無くなったら、それと同時にそこは無人になる。

 あの車の速さや格好のよさにあこがれたのは何だったのだろう。本当に未来はSF小説のようになるのだろうか?