最近のTV、新聞がイタイことについて。

見ててイタイという表現が当てはまってしまう今日この頃。自分はそう思うのだが、同じ考えを持つ人は多いのではないだろうか。

 昔は、世の中のオピニオンリーダーの旗頭であった。あの頃は、そして勢いも有った。何か世論を変えてやろうという意気込みが見ているものに伝わっていた。確かにそれと同時に何でもありの低俗番組や低俗記事が載りだしたのも同時期だったかもしれない。

 それが今や勢いを無くし、自分達で文化を作り出そうとする勢いがどこかで空回りをはじめ、それに気づきながら中々自分達を変えて行けないそのもどかしさが見ていてイタさを感じさせる部分だと思う。

 きっと新聞、TVの関係者もそれを感じているに違いない。それだから尚一層自分達が変えてやるんだという意気込みを持つ部分が顔を出しているのだ。
 
 最近では東国原知事の件などはそれを如実に表しているのではないか。マスコミは、知事を自分の仲間うちだと勘違いし、何とか自分達の方に向かせようとする。知事側は、既にマスコミの弱体化に気づいているため利用可能な部分は利用しそれ以外は協力しようとしない。それがマスコミの裏側の部分をいらつかせているのだろう。
 
 今回の、女性の件も大した意味は無い。ことさら目くじら立てることではないが、このニュースを流す事で、知事の人気を確かめている所がある。もしこの件で、読者、視聴者の好感度が下がればきっと手のひらを返したことだろう。しかし、今回はそうでなかった。そう言ったいやらしい考えで放送や報道を行っている所が見えてしまっている。

 世論は、確かに一つの大きな勢力である。場合によっては国民の大多数が同じ方向を向く事がある。しかし、それもケースバイケースで常に同じではない。昔は、情報の取得に制限があり、埋もれた情報が数多くあったが、それがインターネットの登場と共に日の目を見る事が多くなった。隠れた事実が暴露されるのである。そうなると、新聞、TVしか情報の発信源であった有った頃には、自分達が情報を流す流さないでコントロールできたものが、逆に裏情報を暴露されることにより報道の信頼性を落とすことになってしまったのである。

 もし、新聞、TVが従来の力を取り戻すためには、情報は独占しなければならない。当然、インターネットも管理下に置く必要があるだろう。そういう時代が再び来るのだろうか?