無責任世代の次にくるもの

昭和の無責任男といえば、つい先日お亡くなりになった、植木等さんであったが、それを見て育ったのが今の団塊の世代である。

 キーワードは、「無責任」である。その結果団塊世代が無責任に先送りした問題が最近噴出している事件ではなかろうか?こんな事を言うと無責任な発言といわれるのは間違いないところである。

 TVで、植木さん追悼の映画を放送していたが、あの状況を夢見た世代が団塊の世代ではないだろうか?それより下の世代は、団塊の世代が壊した環境の修復の世代で、世の中も団塊の世代のような生徒を作らないために管理教育が始まった頃である。 徐々にではあるが、体制に刃向わない子供作る事が隠れた目的で、大人の言う事を良く聞いて、いい学校いい会社に入る事が目的のようになって来た頃である。

 ある意味その下の世代は、団塊の世代の犠牲者だったかもしれない。更に言えば、あれだけ無秩序に反抗と破壊を行ってきたのに、社会に出ればそれを忘れ、自分達の下の世代に圧力を加えた世代でもある。

 一言言えば、それは全ての団塊の世代がそうと言うわけではなく、一部の雰囲気が全体の雰囲気をかもし出していた、或いは影響されてしまったということかもしれない。大部分は、おとなしい集団だったのだ。

 戦後の経済成長の基礎を作ったのは、戦時中に育った人たちである。大正、昭和の時期の人たちである。戦後生まれの団塊の世代はその敷かれたレールに乗って進んできただけと言ってよい。
 そのドサクサに不祥事を隠し、果てはそれを知っていても開き直ってみせるそういう世代なのではないか。

 団塊の世代は、自分達の時代が終わった事を知り始め、最後に総括してる様に思える。それでみそぎが済めば又新しい生活が出来ると思っているのだ。

 しかし、その次に先頭に立とうとしている世代は、ルール重視の世代である。何から何まで規則があり、それを周りに求める世代かもしれない。そこにルール無用の者が割って入れば抵抗するすべも無く破れてしまうような人間達である。更に上の言う事は従順に従うことに慣れているため、何時まで経っても一人で物事を決められないのである。今後も年寄りの干渉は受けてしまいそうである。

 これからの時代、きっと団塊の世代は、何らかの理由を付け既得権益を守ろうとするだろう。安定こそ人生の全てであるからである。その下の世代は、それに不満を持ちながらも従順に従う事を止めないだろう。そしてそれに続く世代は、マニュアルが無ければ先に進めない世代。そして次に来る世代はどう日本を変えていくのだろうか?