安倍首相辞任の感想

突然の辞任表明に、国民、マスコミも驚いた状況になった。これこそが、安倍辞任の本当の目的だったのだろう。

 何時か辞任するのは、この状況では間違いなく、今国会会期中というのが大方の予想だっただろう。そして混乱は続くと誰しもが思い、更に言えば誰が総理大臣になっても状況は変わらないということであった。

 それを見事に裏切る行為にでた、或いは偶然かもしれないが、マスコミや国民に対する意趣返しになったのではないか。
 
 総理大臣になった時は、この人の絶頂の時期だった。自民党の国会議員の大半に支持され、それ以前に小泉時代に右腕とも言われ純粋培養されてきたプリンスであった。
 自分の意見に対して反対する人は周りに居なかっただろうし、それ以外の外野に関してはヤジなど聞き流せばよく、更に手本とする小泉さんは、外野に対して攻撃的な言葉を吐き、それが却って支持を拡大するという状況を見ていた。
 
 首相に成り立ての頃は、それを踏襲し、野党に対して攻撃的な返答をし、更にマスコミ対しても気に食わないところは気に食わないという意見を述べていた。
 しかし、前任者と違うところは、その生い立ちだったかもしれない。前任者はそういう振る舞いをする術を、今までの生き様の中で身に着けていたが、安倍さんにそれは無かった。
 体の中に身につけたものが無いのにあるように振舞うのは、いわゆる張子の虎である。却ってその演技をすることが回りに嘲笑をもたらしていたのを自分は気付かなかった。

 そして、今回の参議院選挙、外遊の間に、酷く自分のプライドを傷つけることが起きたのではないだろうか。そこで自分が張子の虎だと気付いたに違いない。
 そこで選択肢は2つ。一つは張子の虎として認識しながらその振る舞いを続け、そのうち本当の虎になろうとする。
 もう一つは、今回のように自分の本当の姿を自覚し、全てを投げ出す。
 
 まあ、どちらを選択しても天国と地獄は有るが、安倍さんは、2つ目の一時の地獄を選んだのだろう。それがお坊ちゃまとして相応しい選択だった。投げ出した後は、誰かが面倒を見てくれるという考えは、今までの生き方そのものだからだろう。

 今後の候補に挙げられるのが、麻生、福田等、またもや2世、3世の名ばかり。純粋培養育ちの人ばかりである。それを言えば民主党も同じ状況かもしれない。
 純粋培養組みは、喧嘩慣れしていない部分が不安材料である。口喧嘩は達者かもしれないが。