火曜日のblog

朝、空は澄み渡り秋晴れである。連休で体を休ませる筈が何やら動き回り無駄な体力を消費してしまったように感じる。それで良いのかと思うが、それも生き方の一つである。

 
 総裁選も、何やら陰気臭い顔ばかりTVに写され、更に言えば大衆のことなど考えているわけが無い作り笑いを浮かべられて演説されても心を打たないような気がする。
 そのためTVは極力見ない。新聞も総裁選の話題を載せているが、自分達が引き摺り下ろした後に、日本の未来をどうするかというビジョンが欠落し居るため、記事を読んでも心を打たない。
 もしマスコミが安倍総理を引き摺り下ろしたとしたら、その責任の延長線上にある日本をどうするのかという未来像を明らかにすべきだろう。
 それなくして、次々とマスコミが政権を崩壊させていては、政治も育たないし、国際政治上の戦略も水の泡となる。


 山本モナ嬢が石田純一とTVに写っていた。何の話題かといえば、映画の試写会に招待されマスコミのインタビューに答えている風景らしい。
 何やら2人は同種の人間として扱われているらしい。
 すでに山本嬢は、アナウンサーではなくタレント扱いであるわけで、私生活を切り売りすることで仕事を得ている部分がある。それなら私生活も慎ましやかなものではなく、派手な方が情報を切り売りするには都合が良い。そのためより一層交友関係も派手になるのだろう。
 そして隣の石田氏。この人の立ち位置も微妙である。俳優としての今後が、このまま壮年のプレイボーイ的役割で生きていくのか知らないが、どう生きていくのだろうか?
 その生き様に興味がある。岡田真澄的な位置づけに移行するのだろうか。

 こう書いて行くと何やらTVの前で煎餅かじりながらワイドショーを見ている親父の戯言になってしまう。

 最近気になる記事といえば、朝日新聞に掲載されている、「患者を生きる」である。
 今の話題は、認知症、いわゆる痴呆、ボケと言われる問題である。

 この問題、記事を読んでいて身につまされるものがある。実際今のところ家族には居ないが、職業柄そのような人に接触することが多い。普段の生活では、そのような病気を持った人は、施設なりに隔離状態にされ一般の人からは見えづらくなっている。
 しかし、健康で長生きできるようになった現代では、確実にその人口は増えているはずである。
 核家族化が進み、単身者が増えた現在、そういう人たちを扱う技術に不慣れになってきている。普通で居ることが当たり前で少しでも異常な行動は忌避の対象となっているきらいがある。

 今後、自分の人生も考えるといつ何時その病気を発症するかも知れず、少し不安となると同時に、その人たちを身内も含めてどのように受け入れていくかも充分に考えていく必要がある。

 欲を言えば、隔離された社会ではなく、そういう人たちを受け入れ共存していく社会が望ましい。
 介護保険などの制度は、本当に素晴らしい制度なのである。上手く運用されれば。無い時代は、障害があることで人生を短くしてきたのであるかである。

 しかし、人間長生きをすればするほど色々な問題が確実に沸き起こってくる。しかもそれが日本の繁栄に支えられているということは紛れも無い事実でもある。