大量消費生活社会はいつまで続く

戦後の高度経済成長の時代、作れば売れる時代が長く続き消費は美徳とも言われてきた。
 
 しかし、戦後の日本生まれの工業製品は、安くて丈夫で壊れないがその売り文句だった。その後、国内生産から海外生産に切り替わり諸外国で工業製品が作られるようになると、その風景が徐々に変わり、工業製品は4,5年で壊れるものだという認識が当たり前になってきている。
 その代表格が、パソコンである。

 もし日本の工業が、生産を海外にシフトさせず国内製品を続けていたら、そしてその製造業のポリシーを持ち続けていたら、世界はこんなにものを浪費する社会にはならなかっただろう。
 
 事実、自分の家では、20年以上も前に購入した家電製品がまだ現役で活躍しており、その技術の高さを証明している。

 確かに、物が壊れなければ次のものを買い換えることはしなくなる、そして新製品が売れなくなれば製造業がだめになってしまうという考えは根強い。
 その発想は、大量生産、安価製造、大量消費のアメリカの考えであった。壊れたら新しいものを買えば良いという考えが、製品寿命を決めてしまった。そしてその発想が、世界に広まり今の現状があるのである。

 しかし見方を変えれば、もし家電製品が作られなかったとしたらその資源はもっと別なものの製造の原資になっていただろうということである。もしかしたら、その資源が宇宙開発に使われていたら、人類は既に火星にコロニーを建設していたかもしれないのだ。

 そしてこの失われた何十年の間に、日本人の思想を変えてしまった。それが壊れたら買えばよいという考えである。
 それはその通りなのだが、それまでの過程である壊れないように使おうという意識が欠落し、乱暴な使い方をしても壊れたらスペアーを使えばよいという考えを経てその結論に達するようになってしまったのだ。
 
 その過程が違えば、結果は同じでも違った発想になる。もっと飛躍すれば、ものを破壊しても作れば良いということになるのである。

 もし今からやり直せるなら、日本人は、大量消費国家から離脱し、壊れない製品を作り使うことから始めるべきである。ものを大事にする考えこそが未来につながることを認識するべきだろう。