知の欠落

今日は、曇り。少し黒味掛かった厚い雲が空に浮かんでいる。時折ポツポツと雨が振るが本降りには程遠い。
 昨日も晴れているのに風は冷たかったが、今日も風は冷たい。


 人生を生きていくと色々な曲折がある。それに合わせ知識を得ていく必要が出てくる。その知識は専門的なものであったり、そうでなかったり、色々である。
 そうして年を経るたびに昔の知識は徐々に抜け落ちていくと同時に、昔の知識は既に古びたものになり、時代に対応していないものとなっているときがある。

 自分は、その知識の専門家だと思っていたはずなのに、そのことを人前で話そうものなら「何言ってんだこの人」状態なのである。
 そう言えば、講演を聴きに出かけ、昔の古いスライドを映しながら延々と自慢話をしていた人を思い出した。
 確かに優れた業績を残してきたのは承知だが、既に時代は別の方向に向き始めているのだということを何も教えてくれなかったと感じた記憶がある。

 その時はまだ若すぎたのかもしれない。

 人の蓄えられる知識は有限である。さらにその知識は徐々に磨り減っていく。そしてそのまま新しい知識を加えていかなければ、歯の欠けた櫛と同じで使い物にならなくなる。そのことを常に覚えていく必要があるのだ。

 
 昔、町内会の役員をしていた時には、この地区一体の家の名前をそらんじていた。それは、何故かというと、町内の家を地図を片手に一軒一軒廻っていたからである。それが続けば独りでに家の名前は覚えていくものである。
 しかしあれから15,6年たった今、殆ど覚えていない。確かに役員を辞めた後、町内の家を廻ることを辞めたし、その任期は1年だけだったのだからその後覚えておく必要もなかった。

 しかし、知識としては同じレベルなのだ。必要があれば残り不必要であれば消え去る。もし覚えていたとしても、転入転出が当然その間起こっているのだから、その知識の入れ替えを怠っていれば覚えていた知識も役に立たなくなる。

 しかし、本当にその知識を失う時の速さを思うと、人間の能力の頼りなさをつくづく感じる。