羽田空港そして成田

昨日の雨風が嘘のように外は穏やかである。白い雲の間から見える空は驚くほど青く見える。


 東京の玄関口である羽田空港が新滑走路が完成すると共に国際便の発着枠を増やすと言う話題について。
 既に新滑走路の建設が決まったときから既に国際便の離発着枠の拡大が言われ、羽田のモノレール線脇では着々と工事が進められていた。

 これで成田空港に止めを刺したと言うことになる。

 成田空港が開港して30周年の年を迎え、国際空港の地位はドンドン低下していく。

 アジアの周辺の国に強大な国際空港ができたと同時に、今回の羽田の国際化は、成田と言う東京から離れた位置にあるという立地条件からも、今後の拡張性から言っても未来はないということになるのだろう。

 この成田空港は、「成田闘争」という国と地元民との戦いから始まった。その後色々なイデオロギーが交じり合い複雑化すると共に、日本国民から忘れられた存在になっていった。あの初期の興奮は徐々に冷め、時間と共に国民から飽きられ関心すべき事柄ではなくなってしまった。

 時は色々な問題を風化と言う現象により解決していく。そのことの係わっていた関係者も30年もすれば徐々に少なくなり、更にあと50年も経てば誰もいなくなってしまうはずである。
 そして争いの出来事も人々の記憶から消えていくだけである。

 一ついえることは、国の政策が間違っていたと言うことだろう。もしあそこに国際空港を持っていくなら、あの地域に政府の機能を移転し利用する体制を持たせるべきであった。それが国の責任でも有った。
 それをせず、東京一極集中を目指すなら、羽田の拡張で良かったからである。

 今後、右肩下がりになっていく日本。戦後の復興に合わせた日本の政策のゆがみが出始めているのだろう。そしてそれを転換すべきタイムリミットは迫っているのにそれができないと言うのが今の日本の現状ともいえる。