後期高齢者の件

曇り空。西の空に青空が見える。深夜に雨が降ったようだが、既にアスファルトは乾いてきている。今日も日中は、暑くはなりそうである。

 後期高齢者医療制度の見直しが与党で協議されていると言う。そしてその話の先は、75才以上の負担はゼロにということらしい。
 更にその負担ゼロにした場合の財源はどこに求めるか何も考えていないというオチらしい。これは、常日頃野党の案に対して財源の当てはあるのかという突っ込みを入れている割には情けない話である。

 今回の高齢者の医療制度について厚労省の対応がお粗末だった。大事な時期に年金問題が持ち上がりその対応に人と時間をとられ充分な準備がそもそもなされていなかった。これは今年度から開始される特定健診についても同様である。

 そもそも、国民の医療費がこの先膨らめば、国が破綻するという論理から始まったことである。国が破綻する前にそれぞれの分野の支出を抑えようということから始まったことである。
 そこで、今まで負担してこなかった高齢者にもそれ相応の負担をおねがいすることになったはずである。

 今回問題になった点は、高齢者の中で今まで医療費を支払っていなかった、低額所得者や扶養家族に含まれて居たものも負担を求められたことである。
 そもそも、高齢者の医療費の殆どは、勤労者の負担でまかなわれていた。しかし、勤労者が減り、更に国民保険にも加入しない人口が増えたため医療費の不足する分を有る程度収入がある方には負担してもらおうと言う考えから始まったはず。
 この有る程度収入がある方が重要で、若者世代以上の収入がある高齢者が多い世の中で、その人たちには申し訳ないが負担をしてもらうと言うのは正しいはずである。

 高齢者の方だけが、人として格上と言うことは無いからである。人として日本で生活している分には年齢は関係ないだろう。
 そういった観点から、年収がある一定限度を超える高齢者にはある程度の負担を求めることが法の上の平等から言えば正しいのではないだろうか。
 最低限の生活を送ることが憲法で認められ、健康な生活を送るため相互扶助の精神から健康保険が成り立っているいま、もし若者がこれ以上搾取され続けるなら日本は別な国に生まれ変わる恐れも出てくるのではないだろうか。

 今回の後期高齢者医療制度特定健診制度、見切り発車したせいで色々な不具合が出ることは残念で他ならない。これで更に日本の医療の改善が遅れることになるのだろう。
 理想は高く、この基本的な精神は間違いない。それを誠実に実現できる体制に綻びがあるだけである。世界に誇った事のある日本の官僚の相対的なモラルが低下したために今の現実がある。
 もう一度官僚の優れたところを国民に見せて欲しいものである。