通り魔事件に思う

厚い雲が所々に浮かび、暑い日差しを時々遮る。時たま見せる太陽の光はまさしくあの肌を焦がすような熱量を持っている。そして浮かぶ雲はいつでも大粒の雨を降らすために待機しているようである。

 
 このところ連続して起きている通り魔殺人事件。人込を歩くことを恐れさせる雰囲気を作り出している。更に夜道を歩いていて後ろから足音が聞こえると思わず身構えてしまうこの頃である。
 
 通り魔の犯人は、無職か派遣社員である。それが今回の連続して起きたことと何か関係があるか実際のところ不明である。しかし、何かに影響されておきているのは間違いない。それが小説、マンガ、ゲーム、過去の同様の事件、新聞、雑誌、TV、ネット、全てが情報の発信源として疑われる。
 
 これら全てを規制すべきなのか?明治、大正の時代に日本は戻るべきなのか?情報を人々に与えなければこのような人間は出現しないのだろうか?

 それは無いだろう。人が集まり社会を形成する以上このような犯罪は幾らかの確率で起こるものなのだろう。それが喧嘩であり、暴動であり、殺人であり、戦争である。何らかの理由をつけて人は傷つけあう生き物なのである。

 では、どうすればそういった行為を防ぐことができる?

 だれもその解決策を持っていない。格差社会は確かに原因の一つであると思う。その原因を正すために誰が動けば良いのだろうか?既に格差の一つに安住する国会議員がその役割を担ってくれるのだろうか?官僚?マスコミ?全て格差に守られている人間だけである。
 
 では底辺にいる人間たちが自分たちの境遇を打破するために立ち上がるかといえばそんなことができる勇気もなく小さな犯罪に走るか、今回のような自分たちが勝てる相手に暴力を振るう事しかしない。
 
 そうしてどんどん格差が開いていく。更に格差社会に守られている人間は自分たちの置かれた境遇を守るために保守的になる。そして自分たちのほんの僅かな既得権益を守ろうとするのである。
 
 今後間違いなく格差は開く。その格差の対象とならないように子供たちの尻を叩き続ける。子供たちも薄々感づいている。自分たちも格差社会の一員だと。その囲いから抜け落ちればあのような人生が待っているのだと。更に言えば既にその囲いから落ちてしまった子供たちは引きこもるしかないのである。まだ親は自分たちを庇ってくれることを信じているからである。

 ここまで書いて改めて気付くことは、このような殺人は、ある意味確率的に起きる事象の一つでしかない。暴動やテロが起きることがない限り政府は何の手立ても打たないだろうし、実効性のある政策は打ち出せないだろう。

 今後も起きると思われるこのような通り魔事件の被害を防ぐために、犯人に銃や爆弾などを与えない環境を作るしか実効性のある対策は立てられないだろう。
 もしアメリカのように銃火器が簡単に手に入るようなら今回の事件の被害者は、恐ろしい数になっただろう。