秋色

昨日の雨雲は結局雨を降らせず通り過ぎてしまった。今日は、やはり野焼きの煙の影響で空はかすんでいる。その空の中に太陽が浮かんでいる。少し煙り臭さの残る朝、紅葉も全て一斉ではなく早いものは枯葉となって路上で風に吹かれている。それとは別にまだ紅葉とならず青々した緑に染まる木が存在し、全てが秋色とはならない。やはり風の通りで、極端な冷え込みとならない場所もあるのだろう。以前書いた、「秋深し 隣は何をする人ぞ」 本当は、「秋深き 隣は何をする人ぞ」らしい。「し」と「き」の一字違いだが、その語感は変わってくる。ただ自分は「し」の方が耳当りが良いので覚えていたのだろう。そういうこともある。秋といえば、かぼちゃが美味しい季節である。TVを見ていたら、生っているかぼちゃの表面は割かし柔いらしい。それお収穫すると徐々に皮の部分が硬くなり、包丁で切れない程になるらしい。それは、原産地が雨の少ないところだったため、水分を内に閉じ込めておくための機序らしい。そのためああなるようだ。更に、一番甘みが増す時期は収穫して一月経過した頃らしい。それも知らなかった。店頭に出ているのは、収穫して一月程度してからのものなので買って一月置く必要は無いらしい。確か昔しかぼちゃは、冬の保存食だったし、家畜の餌として使われていた。あの硬い皮を一口で噛み割るのだから馬の歯の力も相当のものであった。更に追加すれば、マサカリでしか割れないかぼちゃもあり(これが家畜の餌にされたのだが)本当に皮は硬かった。