毎日色々

昨日は、世界同時株安が話題としてはTOPだった。しかし、これも全ての人が損をしたわけではなく誰かが利益を得ているのだ。このように世界同時に起こったことであるので、利益を得た人は少数だろう。
 きっと何時か株価は反発する。その時を正確に予想できる人がいれば大儲けできるはず。と信じて株価の行方を片時も目を離さず生きている人もいるのだろう。それが幸せとはちっとも思わないが、それも生き方の一つと思うしかない。

 
 それにしても毎日毎日、暗いニュースは起こる。例えば一日中幸せな話題を伝える日を作っても良いのではないだろうか?
 今のように日本や世界の不幸を探してきて毎日お茶の間に伝えることが、幸せなことだとは思わない。

 その暗いニュースで、やはり人を簡単に殺してしまう事件が毎日起こっている。それは限りなく簡単に人は殺せてしまうことを世間に垂れ流しているようである。それは殺人はこのようにするのだということを教えているようなものである。

 情報の伝え方は難しい。同じ事件でも方や扇情的に伝え読む人の嫌な部分を刺激する方法で書くこともできるし、本当に事件のあらましを情報として伝えるだけの記事も書ける。同じニュースを題材にしてもだ。

 ニュースを娯楽として考えるなら、前者もありだが、それが世の中の役に立っているかというとそうでもなさそうである。しかし、それを規制することが本当に住みやすい世の中であるかというとまたそうでもない。その曖昧さが判断の妨げになっている。

 しかし、普通に暮らしている限りそのような情報は自然と入ってくる。それを拒絶しようとするなら無人島か山奥に行くしかない。