危機管理

今回、天候のため大変な混乱に陥った道内であったが、色々なところで危機管理というものの重要性というのが垣間見られた。

 これは、例えばJALの職員やJRの職員が経験したことは人事ではない、教訓とすべきことばかりであった。

 それを自分なりに整理すると、

1.今回の原因が、自社の責任ではなく天候という不可抗力なものであった。そのためどこかに自分たちの責任ではないという表情が見て取れた、これは特に経験が少ない若い職員に見られた。
 確かに今回の出来事は、航空会社やJRの責任ではないが、自分も被害者という対応であってはならないだろう。心のなかでどのように思おうと勝手だが、表情にだすのは何の解決策も生まない。

2.情報の重要性。今回、JALJR北海道だけの現場しか見ていないので他のところがどうだったか不明だが、情報の出方が小出しであった。どこかに重要な情報は掲示するなりするべきだろう。
 そのため、多くの客が情報を得ようと個別に職員に聞くことが多かったように思う。それで職員も疲れるし、客のほうも情報を得るために必死になってしまう。
 状況をいかに的確に伝えるかこれを管理するか、危機のときは情報を一元化して伝えるような情報管理が必要だろう。

3.最後にこれは重要なことなのだが、乗客には色々な目的を持つ人が大勢いる。個別にそれぞれの事情があり、それに対応するのは大変困難なことである。対応できないということをいかに客にわからせるかということが重要である。
 更に今回のように現地の状況がわからず自分だけが利益を得ようとする人が多数いる場合、見方によっては特定の人が特別待遇を得ているように見える場合があるそれを少なくするような工夫が必要である。

 今回のことは、丁度大学受験と重なり、受験生は大変な思いをしたことだろう。そんな経験も自分たちの人生の思い出とするようにがんばって欲しいものである。

 また客である自分たちも反省しなければならないのだが、このような悪天候でも目的地に普通にいけると考えている。それは本当は誤りなのだろう。
 それは、文明というものに甘えており、自分ができなくても周りがしてくれるものだという考えにどっぷりつかってしまっている。
 本当は、このような場合、あきらめて正常運行するまで待つのが基本なのだろう。仕事をキャンセルできるような状況に日ごろからしておかなければならない。

 どんなに困難な状況が続こうともそれに立ち向かってばかりでは、何時か枯れ木のようになって幹が折れてしまうかもしれない。そこは柔軟に考えていける、あるいは考えられる社会になったほうが暮らしやすいだろう。

 今回の件、その場にいた場合状況が状況だけに混乱する。周りには普通に生活する人が大勢いるのに自分だけが危機に陥りパニックになってしまうことがあるということである。それにしても貴重な経験をしたものである。