大食いの時代の終焉

空は一面に雲、この空は、昨日の夜から変わりない。小雨と言うか霧雨よりも弱い雨が夜から続いている。
 この何日かの雨で、本当に芝生は緑の強さを増している。前線が停滞していると言うわけではないので、梅雨入りではなく、低気圧が続けてきているだけなのだが、久しぶりに雨模様が続く。

 
 ここにきて石油の値上がりにより、庶民にとって物の値上がりに対して敏感になってきた。すこし前なら、物の値段は下がり続けてきたのだから、このインフレ傾向は、国民に消費抑制の心理に影響を与えている。
 この先、消費意欲は減退していき、より国民に先行きの不安を与えるだろう。

 そして、影響を受けるのが、大食いに代表される食事の大量消費を見せ付ける番組だろう。

 大食いに代表される番組は、見ているものに何かとてつもないことをしているという爽快感を与えてくれる。これには、異論があり却って不気味さを覚えると言う人もいるだろうが。
 しかし、その矯味も徐々に薄れ、この世相もあいまって、あの大量の食事を一人の人間が食い尽くす様をが大変な浪費をしているように見えるから不思議なものである。

 その番組の代表格である、「TVチャンピオン」の先週の放送に有った寿司を大量に握ったり、作ったりする企画も、見ていて段々腹立たしくなってきた。
 もしあの番組を、世界中の貧しい人が見た場合、あれほど残酷な放送は無いだろうなと感じたからである。もし手を画面の中に手を上すことができたらと考えるに違いない。
 あの番組を作るために使われた材料は、大半が輸入されたものである。そうして世界の他の人が食べられたであろう食料が日本人の大食いの人に一瞬で食べられたり、或いは食べることを前提としていない使われ方をされるわけである。

 時代の流れは変わったのである。もう世間の空気は大食いを是としないであろう。多くの大食漢は、世界の資源の無駄遣いをしているイメージしか湧かなくなってきている。

 そういった意味で、TVの時代は終わったともいえる。軽薄でおもしければ何でも許されると言う時代は既に終焉を迎えたのだ、それを気付かないTV局は、延々と番組を作り続け更に国民から離れていく。それは、離れる国民が悪いのではなく、それに気付かない放送局が悪いのである。

 大食いの時代の終焉は、大量消費時代の終幕であり、この次の出し物は決まってはいない。