模倣犯

今日は予報どおりの天気になりそうである。そらはかすみがかったように薄い雲が空一面に広がっている。その薄い雲を通して太陽の光が差す。
 この雲もやがて太陽の熱で蒸散して青空が見えてくるのだろう。そうすれば日中は20度を超えるだろう。

 昨日の事件

 人生に嫌気がさしたなら、自分ひとりで解決しなさいと一喝してやりたい事件である。

 その一人のために7人もの人生を奪ってしまったのである。犯人一人の人生がこの先まだ続くのに対して、犯人が身勝手な犯行で奪った命は、もう蘇ることは無い。

 
 このような事件は、何時の世にでも起こる。
永山則夫連続射殺事件はその典型的な事件だった。

この犯人も、最高裁まで争う間、自分の犯した罪を反省し贖罪した。しかし、今回の事件と同様に、犯行後反省されたとしても、その人生を奪われた人にとって受け入れられるものでは無いだろう。
 
 もし時間が戻るなら、その反省を事件を起こす前にして欲しかった。今回も、犯人は、世の中が厭になったと語っているらしいが、世の中が厭になっている人は沢山居る。
 多かれ少なかれ生きると言うことはそういったことを受け入れた上で暮らしているものである。

 この先、この事件を模倣して同じ事を起こす人間が生れない様に、日本の社会を少しでも変える必要がある。そうしなければ亡くなったものも浮かばれないだろう。