生きること死ぬこと

今日は、空一面ねずみ色の雲に覆われ時折雨粒が落ちてくる朝である。昨日の予報では、日中から雨模様になるはずだったが少し早まったようだ。

 
 最近交通事故で亡くなる人が減っている。これもシートベルトの装着義務や、エアーバックなどの装備が増え、ちょっとした事故では、命を落とすようなことが無くなったからと思われる。
 今まで交通事故での死者数は、北海道で毎年600人程度いたのが、年々減り続け半分強になっているのが現状である。
 それに比べ、自殺者数は年々増え続け北海道でも年間1500人ほどの数がある。

 医療機関で日頃接している人の多くは、生きることの努力を続ける人が大勢居る一方で、自分で生きることをあきらめてしまう人が居る。
 人が生まれてから、それぞれの命は固有のものであるかもしれない、しかし、一方で後数年或いは半年というスパンの命を得るために治療を受けている人がいて、片方では、五体満足で生きていながら残り何十年と言う命を捨ててしまう不合理さは、なんとも言いようのないものがある。
 本当に人の寿命のやり取りが可能ならとさえ思ってしまうわけである。

 人が死を選ぶことは、それ相当の理由があるだろう。それは生きているよりつらい理由も考えられる。しかし、若者の多くの悩みは、行き続ければ何故と言うような一時の苦しみから逃れようとするものが多いと思う。
 本当にそれがつらくとも、何十年経てば、何故あの頃の自分はと言うような時が来ることもあるはず。
 
 自殺しようとする人たちに言いたいのは、あなたの命を他の人に分けることは不可能である。それなら生き続けたくても病のため死んでしまう人の変わりに、生き続けて欲しいということである。