ダブルスタンダード

昨日と同様、空一面雲である。これから晴れるとはとても信じられないのだが、きっとこの雲は消え晴れ間が広がるのだろう。
 ここ数日肌寒い天気が続き、体調を崩す人が多いようだ。汗をかいたり上着を着たりの繰り返しでは、体温調整のままならぬ年代は、この時期は油断しやすい。といってもこれから暑さが続く夏に入れば、また脱水で体調を崩したりしやすいから、一年を通して気候に合わせて生活すると言うのが大切である。

 ダブルスタンダードは、それをされた身には応えるものである。言うなれば差別であるからである。
 しかし、支配する側にとってそれは常套手段である。支配される側は、それを黙って耐えるしかない。
 
 では、それを変えていく方法があるのかという問いに対して、それを使い分けるものを排除するしかないと言える。

 滝川でおきた介護タクシーの問題でも、為政者は、補助の方法を使い分けた。同じ補助の基準であっても、あるものはそれを有利に受けられ、あるものはそれを受けることを拒否されたりもする。そして拒否されたものが何らかの手段をとらなければ泣き寝入りするしかない。

 その何らかの手段が、マスコミであったり、司法であったりするわけである。そしてこの事件で何が解決したのであろうか?
 犯罪者への不正な給付は解消されたが、それを行った当事者は処罰を受けず開き直ってさえ居る。更に今回の影響で、普通なら利益を受けられるものも利益を受けれなくなってしまった。

 更に言えば、保護制度自体がダブルスタンダードでさえある。本当に給付を受けなければならない人が後回しになり、既得権者が優先的に利益を享受することができる。
 不思議な世の中である。弱者を装うものが利益を得、本当の弱者は声さえも上げない。それに対して行政は、見て見ぬ振りをする。

 国がありそこに住む者も居る、そしてその者たちから税金を取り使う。そして使うものが有利な世の中になる。使えば使うほど有能と言われる。腹を抱えて笑うしかない。