痛み

夜中から降り始めた雨が止んだところである。それ程大量の雨ではなかったがアスファルトに水溜りを作るのに充分な量だったらしい。
 空は依然として雨雲が大半を占めている。何時降りだしてもおかしくない。


 人が痛みを感じるには、ある程度の強度を超えなければならない。それを閾値と呼ぶ。
 試しに先の尖ったもので自分で試してみると良くわかる。最初は押された感じだが、あるところを過ぎるとそれは痛みに変わる。徐々に痛みの強さが出てくるわけではなく痛みに変わるポイントがあるわけである。通常これを閾値と呼ぶ。

 人間の体には、痛みを感じる部分、痛点が存在する。そこへの刺激がある一定レベルに達したとき痛みを感じ生体反応を起こすわけである。
 
 何故こんなことを書くかと言うと、現代の日本は、ある閾値を超え痛みを感じ始めていると言うことである。最初は、痛みを感じさせないちょっとした出来心で行った行為だった。ほんの僅かな、誰も気付かないようなことでもあった。
 しかし、それを毎回繰り返しているうちに一つが二つというように増えてきてしまった。そうなれば痛みが顕在化するのは時の問題になる。

 今起こっている様々な事象はそういったものの顕在化に過ぎない。社保疔に始まって、食品の様々な偽装、官製談合、縁故採用など、最初はどこかの片隅で密かに行われていた。それが公にならないため徐々にその量が増やされ、それが常態化してしまったことに原因があるのである。
 災いは小さなうちに摘み取らなければ大災害になるの例え通りの展開に今の日本は陥っているのである。

 それを改善しなければ、社会的モラルが破綻し、日本という国が消滅さえしてしまう危機を迎えていることを国民は気付かなければならない時が今来ているのである。
 
 痛みを感じているうちはまだ良い、この痛みを感じなくなれば死を待つばかりである。