生と死

朝日が強烈な日差しを浴びせる。そのため急激に戸外の温度は上昇してきた。しかし、朝の気温は5度と8月にしては秋口の気温まで下がっていたため、少し肌寒い程度ではある。今年は、何度も書くが、太平洋高気圧の勢力が弱く、北海道はぐずついた天候の夏となってしまった。このまま行けば、急速に秋になりそして冬になってしまうのだろう。今年はもう半分を過ぎ折り返してしまった。残りの月を心置きなく過ごしたいものである。昨日の話に近いものがあるが、毎日日本では多くの人が亡くなっている。それが病気であれ、事故であれ、生命の終わりはあっけなく訪れる。人の命が尊いのなら、もう少し命の丈夫さも欲しいものだが、地球上の生物皆平等に死を迎えることが定めであり、それから逃れられることはできない。その逃れられない死なら、全ての人に安らかな死を与えて欲しいものである。しかし、現実は残酷で、苦しみながら死ぬと同時に、その人の一生に拘わってきた幾多の人がその現実を受け入れなければならない。それが、自分の死を受け入れるための予習に近い試練である。日常の死と共に、同様に多くの生命の誕生もある。この世に生を受けたからには、同時に亡くなってしまった人々の希望や夢を、別な形で叶えて貰うことが本当の輪廻転生だろう。その夢や希望がリレーされていくことで安らかな死と、生の喜びが存在するはずである。その命のリレーを無駄に終わらせないように、今生きている人たちは、生きていかねばならないはずである。