平常心

空に雲は浮かんでいるが、太陽を覆いつくすほどではない。今日も暑く成りそうである。何時も平常心でいるのは難しい。そもそも自身が感じる平常心と、他人から見られる平常心は違う。自分の心が乱れていても、表情や動作に表さなければ、他人からは落ち着いていると見られているはずである。しかし、その中身は、違うのだ。スポーツ選手でもそれは同じである。プロ野球の投手などは、両極端である。その感情を表に出すことで力を発揮するタイプと、感情を表に出さずポーカーフェイスで端端と投げるタイプとがいる。表に感情を出すタイプは、常に勢いで投げようとする。出さないタイプはそれを隠すことによって相手に投げる球を読ませないようにする。どちらが優れているとは言わないが、やはり表に出さない投手の方がコンスタントに勝利を上げるように思う。そして優れた選手は、感情を出す出さないに係わらず、その精神をコントロールすることが出来る筈である。如何にその自分の乱れようとする心を察知し、その自分の姿を冷静に判断し、正常な状況に持っていこうとするかという技術的な問題になるのだろう。年を取ればそれなりに経験をし、心にブレーキをかけることが出来、限界点を上げることが出来るようになる。その心の上がり下がりがストレスになるともいえる。また心を抑制する余り、活動力をも抑えるマイナス効果も生む。それが、何事も変化を望まない様になってしまうのかもしれない。このところ、人と接触する機会が多くなってきたため、感情のコントロールも非常に難しくなる。その辺りが持って生れた性格による得手不得手につながるのだろう。不得手の身にとってこの環境の変化は、堪えるものである。それにしても、日が暮れるのが早くなったと感じ始めたと同時に時間が経つのも早く感じられる。これも困ったものである。