食の安全

今日も快晴の朝を迎えた。少し雲が掛かってはいるがおよそ9割は青空が広がっている。しかし、秋も半ばということで朝晩は少し冷え込むようになってきた。体調を崩す人が増えそうな気候である。食の安全について、昨日の問題である「事故米」の件について今日も一言。事故米の流通経路は、飲んでも安心と思われる焼酎メーカーの公表だけで終わっている。今回の公表された会社は、いずれも中小企業というレベルであり、更にアルコールは蒸留するものなので、消費者がもし飲んでいたとしても安全性は保たれるということで公表したのだろう。公表されたメーカーは大損害で、これにより経営困難に陥る可能性がある。そして本当に問題なのは、おそらく米粉にされた原料がどこに出荷されどの食品に混入されたかということである。おそらく原料は、○○食品、○○製粉、○○製菓というような公表すれば大きな風評被害を巻き起こす所に納入されている可能性がある。またその数は、今回の焼酎メーカーとは比べられない数となり、製品回収となれば日本経済に大打撃を与えるものと考えているのだろう。しかし、この問題は、食の安全という観点からすれば大問題である。狂牛病では、アメリカ牛肉を輸入停止にし、鳥インフルエンザでは大々的に鶏の処分を行ってきた。これさえも日本経済に与えた影響は甚大だった。しかし、政府はそれを恐れず、国民の健康を守るため政策を行ってきたはずである。それに比べ、今回の事故米の騒動は、一種変わった扱いを受けている。それはほとぼりが冷めるまでほっとくである。確かに、今回の流通経路を明らかにし、食品を回収することになれば不景気を増張しかねない。日本の経済が更にダメージを受けるのは必死の状況である。しかし、国民一人一人の安全を考えれば、速やかに情報を開示し、個人が自分の食の安全に対して選択できる状況にするべきだろう。それが国民の安全を守る国の義務に違いない。しかし、今の状況は、情報を出来るだけ小出しにし、身を潜めながら事態の鎮静化をひたすら待つ状況である。新聞で言えば、朝日新聞なども今日の朝刊では、一面は珊瑚の白化問題である。事故米の記事は、三面記事扱いである。事の重大さの認識に国民と大きな隔たりがあると感じずにはいられない。TVの扱いも、ニュース扱いで、コメンテーターの言葉も無い。正にどこかの圧力を感じずにはいられない。それが正しいとは思えないし、このタイミングで総裁選を行っている自民党に悪意を持った魂胆を感じるのは自分だけだろうか。