携帯

空には雲が一面に広がり、今日の快晴を予想させる要素は一つも無い。朝のニュースでは、札幌は雲ひとつ無い青空と報じていたが、所変われば変わるものだと思う。この大量の雲が気温の上昇と共に消え去るのだと思うと信じられない感じがする。ドリフのコントでは無いが、雷様が雲の上に鎮座し、太鼓を叩いて雷を落とす話を子供の頃信じていた身としては、雲は体重を支えられる程度のマットのような感覚がどうしても抜けないのだ。今日の朝刊の話題も自民党の総裁選が占めていた。しかし、この景気悪化の時代にこのような事でよいのだろうかとこちら側の人間は思ってしまう。この政治空白の時期に指導者が不在(まだ在籍しているようだが息を潜めてしまっている)の状況で、日本の舵取りをおっぽって総裁選をしている暢気な政治家にしか見えない。これが、経済が安定した状況ならそれも許せる、しかし、状況は日単位でくるくる変わっている。それを見越して政策を打ち出していかなければならない状況で、官僚はじっと待っているわけである。政治が動き出すのを。全くの時間の無駄としか良いようが無い。その責任を政治家は取れるのだろうか。景気といえば、やはり不景気の折の対策といえば、やはり倹約ということになる。色々な娯楽に掛かっている費用を家庭では節約するようになる。しかし、高度成長期が終わったところから、産業は徐々に娯楽の方面にシフトし始めていた。或いは、娯楽のための環境を整える方向へものづくりも変わって行ったのである。例えば、携帯電話などその例である。通話とメールだけであれば、カメラもTV機能も不必要な機能だが、それを使わせて売り上げを得るため如何に色々な機能を使わせるかしのぎを削ってきた。そして手っ取り早くその売り上げを確保するために若者に競って使わせる機能を追加してきた。そして携帯は若者の必需品になってきた。しかし、それによる弊害も昨今出始めてきたわけである。若者にとって便利な道具をとことん使いこなすことが特徴である。それを使えば使うほどそれにのめりこむようになる。それによって今まで若者向けに商売してきたものに対して出費するお金が無くなって来たのである。月々の携帯の支払いが1万円となれば自然とその出費は別の所の出費を抑えることになる。それが若者の自動車離れに繋がった。これはトヨタも大誤算だったかもしれない。これまで車を売るために若者の興味を如何に車に向かせるかを研究し行ってきた、その目論見が崩れ今では日本市場を見捨てた感もある。後もう一つ影響を受けたものの一つに雑誌がある。携帯で情報を得ることで、紙の媒体から情報を得ることが不要になってしまった。その500円程度のお金を節約し始めた影響である。若者の懐を当てにしていた職種は、軒並み携帯に影響を受けているといって過言ではない。しかし、日本の産業構造が、世界標準の仕様で競うのではなく、日本のローカルなルールの中で技術を幾ら競ったところで多寡が知れている。またその技術がどんどん進歩していったとしてもこの先利用されなくなるような技術を先端化技術としても良いのだろうかという疑問符がつく。以上のことから日本の景気を回復する一つの方法として、携帯の高校生以下の利用を禁止するようにすれば良いのではないかと思う。世界の流れは、日本の携帯技術と違う方向へ進もうとしている。世界は日本を受け入れていないのかもしれない。この技術力を他の産業へ上手くシフトしてもらえるような方策を政治家や官僚は考えるべきだと思う。いささかトンデモかもしれないが。