レラとコンサドーレ

今日は、青空が広がる天気である。今日は仕事は休み。朝、パンクした自転車の修理をした。何度直しても一度パンクした自転車は、穴が開きやすい。パンクしたまま乗ってしまうので、中のチューブが傷んでしまうからである。そうなってしまったらチューブごと交換が良い。しかし、自転車の後輪は、駆動部分とドラムブレーキが組み合わさっているため、外すのに相当苦労する。この辺りの外し方のコツというのを知らないため時間が掛かる。自転車屋さんではどのようにして外すのであろうか? とりあえず、穴の開いたところを確認しパッチでふさぐ。空気を入れて修理完了である。昼からは、レラカムイの試合を見に行く。試合会場の月寒ドームは、既に駐車場の3分の1が埋まっていた。レラの試合は、今日で2度目だが中々の入りである。試合は、レラが負けてしまった。最後の詰めの甘さが出てしまった。これが経験の差だろうか。それにしてもレラの運営の上手さには驚く。色々な工夫で応援に来る人の気持ちを掴もうとしている。その部分は感心するが、少し苦笑いをしてしまう部分がある。その部分はコンサドーレの運営会社と比較してしまうのであるが、それも思想の違いといえば違いである。コンサドーレの試合を良く見に行くが、運営はやはり少し公務員的な運営が目に付く。例えれば小学校の運動会の運営と同じような感じである。それに比べて、レラの運営会社の運営は、まさしく商売である。楽しみイコール、エンターテイメントとみなし楽しみを与えることで利益を得るということに徹している。運営会社の水沢社長は、以前コンサドーレの運営にも携わっていたが、短期間で辞めてしまった理由が良く分かる。まさしく思想の違いである。コンサドーレの運営が、何やら公共事業のような運営を行うことが当たり前と考えている運営会社にとって異質のものだったに違いない。更に言えば体育会系のクラブの乗りに近いものに商売っ気は不要と考えている節もある。そしてお金のことはとやかく言うな的なドンブリ感情が今までの赤字を生んだとも言える。自分的には、コンサドーレの運営に慣れ親しんだ感覚が、レラの運営に何やらお金が全てのような感覚を覚えてしまうのだろう。楽しみのためにお金を払うことは、その喜びの対価として当然だが、スポーツは金ではないという何やらスポーツマンシップの概念が少し拒否反応を示すのだろう。それはバスケットボールを見に行くというよりプロレスを見に行くという感覚である。昔見た、アマチュアの試合とはまったく別物なのである。プロスポーツを運営するというのはそういうことなのだろうと分かっていても納得できないのは、自分が古い体質を引きずっているからで、オリンピックが昔、アマチュアスポーツの祭典であったころは、プロ選手が出場するとは想像したことも無く、何時しかプロ選手が出要し始めて、更にドーピングなどが出てくるようになり時の流れとスポーツに対する時代の変化を感じる次第である。このまま、コンサドーレが古い体質を引きずり、赤字経営を改善できずチームの存続が危ぶまれることは回避しなければならない。レラのようにあくまで商業をベースとした運営を行うべきなのだろうと思う。見る側も楽しみを得るためには対価を払うのは当然と思わなければならない。しかし、そうした運営をするなら勝たねばならない。それが商売である。何時も負けていてはプロとはいえない。その点でレラカムイは落第である。勝たねばならない試合で、選手にまだプロ選手としての意識が足りない。勝たなければ自分の生活が成り立たなくなることを覚悟しなければならない。遊びではないのだ。もしその意識が無ければコートを去るべきなのだろう。その点で言えば、プロとして歴史のあるコンサドーレはアマチュアである。全ての選手達にプロ意識が欠けている。10代、20代の選手達にそれを求めるのは酷なのかもしれないが、それが無ければプロ選手としての資格は無いだろう。今日は、それを感じた一日だったともいえる。本当のプロとは何か?それをやる方も応援するほうも考えることが大切である。まあ無理して考える必要も無いかもしれないね。