脳死は人の死か?

 深夜から降り始めた雨は、まだ降り続いている。夜中激しい雨音で目が覚めたのだが、雨かと思いながらそのまま直ぐに眠ってしまった。道南地方は豪雨らしい。


 臓器移植法案が今国会で成立するかどうかの状況に来ている。

引用 日経ネット(http://health.nikkei.co.jp/news/gyo/index.cfm?i=2009060311215h3

 (6/3)臓器移植法改正4案、「脳死は人の死」は移植に限定

 4つの改正案が国会に提出されている臓器移植法の議論が深まっている。いずれの案でも現行法と同様に「脳死を人の死」とするのは臓器移植の場合に限定することが確認され、小児の脳死移植が可能となる2つの案が有力になっている。ただ15歳以上の提供条件を巡って2案の見解が異なっている。改正案は月内に衆院で採決される見通しだが、成立するかは予断を許さない情勢だ。

 「本人や家族が臓器提供を拒否していれば、法的脳死判定はされない」。3日に衆院議員会館で開かれた改正案の勉強会で、「A案」と呼ばれている改正案の提出者の一人、河野太郎衆院議員は強調した。


 脳死移植について反対する立場ではない。

ただしこの法案が通った場合、10年後20年後に、脳死は人の死として認められるようになるだろうなと思う。

 病院で2人の脳死状態と想定される患者が居たとする。

 一人は、家族が臓器移植に同意し、脳死判定を行い脳死と認められ、臓器摘出後死者として葬られる。

 方や片方の家族は、脳死の状態を受け入れないとする。臓器移植も行わないため脳死判定はせず、心臓停止がくるまで治療は続けられることになる。

 という事はその2人が全く同じ症状でありながら方や死亡となり片方は生きているという状態になる。そうして脳死判定の例数が増えるにしたがって、臓器を提供するグループは脳死で死亡した事になりそれ以外は、治療を続けるとしたら、医療側では大変な矛盾を抱える事になる。

 時が経てば、医療者も脳死を人の死として家族に説明するように普通になっていくであろう事は想像にかたくない。

 法律では、臓器移植以外は、脳死は人の死ではないと定義付けられたとしても、常識は先行する。今後回復不可能だとしたら医療を提供する側も積極的に脳死は人の死と認めることになるだろう。

 ただ、脳死が発生する頻度は、救急救命センターなど以外では、発生の頻度は低い、脳死の判定基準をクリアしようとすれば労力が必要である。その点でも、脳死判定が簡便化されていくだろう。そうしてまたハードルが下がり脳死は人の死ということが常識になる。

 本当のことを言えば、脳死の人も積極的な治療を行わなければ、そんなに生存できるわけではない。延命処置をしなければ、人の死は同じだともいえる。もし原始時代なら、同時に生き絶えていただろう。

 医療が進まなければこのようなことを考える必要も無かった。技術の進歩は、それと同時に人間にルール作りを迫るものになるということなのだろう。