気が早い

 曇り空が上空に広がっている。高層の雲は白く、太陽の光を遮り、地球に降り注ぐ熱線を吸収している。今、この空を何人の人が見上げているのだろう。

 今日は、午後から雨らしい。

 秋の夜長は春と同じように朝が来たのを忘れさせる。充分睡眠を取ったと思っていても、この日中の眠たさは何だろう。

 来週は、連休が続く。春のゴールデンウィークに対してシルバーウィークと呼ぶらしいが、この名前は誰が付けたのだろう。何やら敬老の日をイメージさせるのだが、そう思うのは自分だけだろうか。それでも、その連休が待ち遠しい自分が居る。

 

 秋の一日一日は、冬を迎えるための準備期間である。昔なら、自宅の前は干した大根をぶら下げ冬の間の保存食のための漬物を漬ける準備をしている時期だろう。しかし、今では一年中漬物がスーパーなどで売られているため、今の若い人たちは、漬物をつける方法すら知らないのではないだろうか。

 今からあの冷たい雪が降る冬に怯える必要が無いのだが、スキーなどを余りしなくなってからは、冬に対して思いいれは無く、頭に浮かぶのは、大雪が降った後の除雪の心配である。

 今年は、去年より降るのだろうか等と言った心配が今から頭に沸いてくる。何か、冬を楽しめることを考えなければならないだろう。

 その事は、北海道の観光にも言える。昔なら本州からスキー客が大勢押し寄せ、冬の観光の目玉を探す必要は無かった。しかし、時代が変わり、スキー、スノボーの人口が減り続ける今、北海道観光の目玉を探す時期に来ている。

 とはいっても、それを考えるのは簡単ではない。冬祭り、雪まつりに代表される雪像も年々規模が縮小され、札幌雪まつりなどは、いつの間にか雪像の代わりに食べ物の屋台が軒を連ねるようになってしまった。様変わりといえば様変わりだが、少し雪まつりの雰囲気を台無しにしている感がある。確かに観光客には食べ物があるとうれしいだろうが、果たして売っているものの魅力があるのか少し疑問を感じる。

 そのため、雪像を見る楽しみから食べる事に視点が移され、雪像の有り難味が薄れてしまう気がする。お祭りに屋台は付き物かもしれないが、それなら少しはなれたところにあったほうが良かったのではとは思う。

 話が飛びすぎるが、この先北海道の冬が厳しければ厳しいほど、北海道に住み続ける人は確実に減っていくだろう。そして札幌などの大都会を除いて、徐々に人も分け入らないような原生林がまた増えていくのだろう。それが10年後なのか100年後なのか分からないが、間違いなくその時が来ると予想はできる。そして、農業が出来る平野部は、機械或いはロボットが作物を育てるようになるのだろう。