中川氏死す

 曇り空。西と東の端と端の空には雲が掛かっていないため、丁度この辺りの真上に雲が残っている状況である。今日の朝は、グーンと冷え込んだ。日増しに冬に近づきつつある。この冷え込みで、きっと山間部は紅葉に成っているだろう。来週辺りの連休が紅葉の見ごろになっているかなと思う。

 

 今日のニュースは、何と言ってもこれだろう。

引用 時事ドットコムhttp://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009100500008

中川昭一財務相が死亡=自宅ベッドで、妻が発見-病死の可能性、東京・世田谷

 中川昭一元財務・金融相(56)が4日午前、東京都世田谷区下馬の自宅で死亡しているのが見つかった。目立った外傷はなく、遺書も見つかっておらず、警視庁世田谷署は事件や自殺ではなく、病死の可能性があるとみて詳しく調べている。

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 「北海道のヒグマ」と呼ばれたお父さんの事を知っている人も徐々に少なくなりつつあり、その人の幻影を道民に抱かれながら生きてきた生涯だったと言っても良い。ただその記憶が薄れつつある今、漸く中川昭一として生きていく時期が来たときに人生を終えてしまうことは残念な事である。ご冥福を祈りたい。

 この人の印象でもっとも強いのは、やはり酩酊した上での朦朧会見であろう。中々ああいう席であの姿を見せるのは勇気がいることである。確かに世間一般の常識でいえば不見識な事で許せない事柄である。ただ、もし本人がその姿を晒す覚悟があったなら、あの報道の後に豪快に笑い飛ばすほどの度量があれば却って人気が出たかもしれない。

 

 ただあの件が、政治家中川昭一の命運を分けたと言っても過言ではない。

 

 更に、見ている人にこの人は、何時もの強気の発言が本当は弱い心を隠すための鎧のようなもので内心は酒におぼれなければ心の平穏を保てない人なのだと思っただろう。

 豪放磊落に見せる人に限って、人の世評を気にする気の小さい人が多いというのは事実である。人にどう見られるかで態度を変える人は、どこかで破綻する。その切り換えが人生のどの時点で行えるかがその人の将来を変える。その変え時があの会見のときだった筈。

 その心の暗闇に飲まれ選挙を戦いそして結果と共に人生を終えることになった。

 話は少し変わるが、亡くなられたのが自宅で、住所が世田谷区、本人は北海道の人というより東京の人だったかもしれない。そういう意味で、北海道に根ざした働きが出来たかというとそうではなく、地元で残っていた親の蓄えで選挙で戦ってきた。更に父の兄弟はそろって政治家一家でありその人たちが支えてきた。

 地方選出の国会議員で地元で暮らしている人は少ない。国会があり、その他の政治活動を行うとすれば東京に本拠を構える事情は良く分かり、一々北海道に帰るというのは大変なことだろう。でも、そうであればこそ地元民の気持ちが良く分かる生活も必要である。

 これからの政治家は、グローバルな考えを持つ人が必要である。必ずしも地元の利益代表者である必要が無い。そういう意味で、これからの総理大臣は、参議院の全国区から出る人がなるべきかもしれない。