武士道

 曇り、気温はこの時期を感じさせる程度である。銀杏並木の街路樹も選定をされすっかり小さくなってしまった。これも例年の作業で景色が変わる。

 昨日は、国会質問において鳩山首相が、自民党の谷垣議員の質問に、「こうなったのは自民党のせい」と盛んに切り替えしていた。聞いている方も自民党政権負の遺産がこのような状況を作った事には納得する。

 しかし、この答弁も今国会だけに有効な切り返し方で、来年も同じ事を言っていたら笑われてしまうだろう。

 今の問題を、過去の人の責任になすりつけることは、自分でも良くすることである。言い訳をするためには都合が良いのは事実で、更に相手に言い返すにはこれしかない場合もある。

 しかし、こればかり繰り返すと、端から見ていると見苦しさを感じさせずには居られないものがある。やはり日本的な精神では、過去の責任も自分が被るというような潔さが美徳と感じさせるものである。それは、謙虚、潔さという日本的なよく言われる「武士道」精神というものである。

 「武士道」といっても大半の武士は、今の日本人と同様見苦しい生きかたをしていたらしいという説があるが、それを戒める意味での「武士道」は、日本人の琴線にふれるものがあり、それを格好良いと思わせるものである。

 まあ、それで全ての日本人が武士道精神に溢れてしまったら、肩が触れただけで果し合いになり、物事を失敗すれば切腹で、死人が溢れることに成るのかもしれない。

 武士道精神を理想として持ちながら程ほどに生きることが人生を生き抜くコツなのだろう。