低気圧

 空は、低く垂れ込めた乳白色の雲が飛ぶように移動している。上空は風が強いようである。

 朝方雨が降ったようで水溜りが出来ている。時折雨粒が落ちてくるが、濡れるような量ではない。

 今日は、休み前の火曜日で早く仕事を終わらせて帰りたいところだが、上手く行かない。周りは、不景気で仕事も休みというところが出てきているが、仕事があることが幸せなのか、仕事が無いことが不幸なのかわからない。

 春先になると、精神的におかしくなる人が増えるようだ、その影響で周囲の人も迷惑を蒙ることが増えている。
 そういえばSMAPのあの人も春先の陽気にやられたのかもしれない。そんな時は、周囲が見守るしかないだろう。しかし、周囲の負担がどれ程のものか、当の本人が理解していない事が多い。周りが自分のことを心配して動き回っていてもそれが当然であるかのように振舞う。それを理解していたとしても自分でその状況を打開する事が現実から逃避する事しかない。
 目の前の事実から目をそむけ楽な方に逃げたとしても、何時もその現実の壁にぶつかり何時まで経っても越える事が出来ず、更に後退していく。その繰り返しである。

 そういう人に限って、周囲が治療を進めても、自己診断で病院に行かない。行く事が必要だとわかっていても行く事が出来ないことが多い。或いは、そこに行ったら自分が終わりだと感じてしまうのかもしれない。

 天気図に、高気圧と低気圧の印はつき物である。気圧が高いか低いかはその時の気象条件によって異なる。
 それと同じような高気圧を低気圧を人は誰も心の中に宿している。何時も高気圧ばかりではなく、時には台風のような低気圧が押し寄せ心を散々乱して去っていく。何時か晴れるのを期待して耐えているのである。

 感情を表に出し、悲劇のヒロインになれる人は幸せである。誰かが何時も見守ってくれる。却って自分の不幸せに耐えじっとこらえている人の方が不幸せになることがある。
 それは誰からも、表面的に見える様子から大丈夫と見られてしまい、手当てが遅れるからである。

 何でも無さそうな人が落ち込んでいないか注意深く見ていく必要があると思う。人の悩みなど振り帰ってみればほんの些細な事である事が多い。その些細な事が時と場合によって大きくなってしまうのである。