混沌

 曇り空が広がる。朝だというのに景色はすっかり夕方のようである。道路脇の街頭も朝が来たのを知らず明かりがついたままである。このまま夜が明けなければ世界が変わるはずであるがそんな事は起こらないだろう。


 人の世は移り変わりの激しいもので、何と言ってよいか判らない。昨日まで正当であったものが一夜明ければ異端と見られ排除されるような事も置きうる。

 今の日本は、そういう時期かもしれない。国民が今まで変わろうとしないで今までの秩序を常に大事にしていようと思ったけれど、その変わらないことで徐々に自分たちの暮らしの先行きが不安になったところで、その風向きを変えた。今は、変わることが正義になっている。

 確かに古くなった秩序は新しく立て替えなければ機能しない。それは変革でもある。一端秩序が崩壊すれば何もないところから立ち上がるしかない。それを国民は受け入れたはずである。しかし、その変革を嫌う人も大勢いるわけである。少なくとも自分たちは変わる必要が無いという人たちである。
 
 でも、時代が移りゆく中で変わらないと思っても周囲ががらりと変わってしまっては、自分も変わらず終えないのである。
 例えば、電気で動く機械を使いながら仕事をしていたものが、いつの間にか電気が作られなくなってしまう世の中がくれば、電気を使わないで作業を行うように変えざる終えないではないか、もしいつまでも変わらず作業をしなければならないとするなら、自分で電気を生み出さなければならない。いつまでも自分は電気が必要だから、周囲の人は自分のために電気を生み出す義務があるのだと喚いていても、だれもその言葉を聞き入れてくれるはずは無い。

 もしそうするのだとしたら、自分で何もかも指示できる立場に着くしかない。しかし、それに固執する事で世界から取り残されいつも間にか自分たちの小さな世界でしか生きることが出来なくなってしまうのだ。

 時代は、変わるそれに如何に順応していくか、正しい航路を指し示せるかが指導者の役割である。その道筋を示す事が出来るものだけが先頭に立つべきである。
 しかし、残念なのは、先頭に立つものが有能な指導者だったのかは、既に過去になってしまってからでしか判らない事である。