コンサドーレ札幌の夢

 もうJ2も残り3試合で2009年シーズンは終わろうとしている。全ての試合が終わってから今シーズンのまとめをすれば良いのだろうが、2年に渡って胸スポンサーをしていた「ニトリ」が今年限りで胸スポンサーを降りるというニュースがあり、色々なことを含めて書くことにする。
 ※本文中に誤りがある場合今後訂正する可能性があるかと思うがご容赦願えればと思う。

※以下にコンサドーレの歴史について言与する部分があるが詳しい歴史については、今は更新されていなくて本当に残念だがconsadeconsaさんのページのCSクロニクル(http://www.consadeconsa.com/chronicle/index.html)で確認することをお勧めします。
また、ここに書かれた内容の多くを詳細にまとめた報告書を一橋大学社会学部高津ゼミ、尾崎ゼミの方が纏めていられるので参考にしました(http://www.soc.hit-u.ac.jp/~kozu/activity/sapporo.html

「北海道にプロチームを作ろう」

 札幌の前身は、東芝サッカー部であったが縁あって札幌に移転する事になった年が1995年12月だからもう15年が過ぎようとしている。
 その当時の経緯を詳しく知る関係者ではないので新聞記事(その当時は、まだ今のようにインターネットが隆盛ではなくスポーツ新聞や新聞で知るしかなかった)でしかその時のことをしるべきものは無かった。

 当時Jリーグが発足(1993年)して既に数年が経ち、北海道でもプロサッカーチームを作ろうという機運が高まり、札幌青年会議所が中心となり札幌SJクラブが発足した。そこがその当時JFLに所属していた東芝を北海道に誘致してそのまま別会社で運営する事になった。更にこの時に、東芝は全てを放棄し何ら札幌とは関係の無い企業と成った。

 そこでコンサドーレ札幌を運営する会社が設立されたのだが、今にして思えばこのスタートで札幌の行く末が決まりJ1とJ2を行き来するエレベーターチームに成り下がった原因となったともいえる。
 
 御存知のようにその当時、北海道にプロスポーツチームは存在しなかった。今でこそ札幌の他に北海道日本ハムというプロスポーツチームがあるが、その当時の道民は皆こぞってプロ野球の巨人を応援していたはずである。
 その他にもアイスホッケーチームがあったが、プロとアマの中間に位置する存在で、企業チームの殻からは脱皮できないで存在していた。蛇足だがこのアイスホッケーも時代の流れで企業チームが解散し既にプロリーグも下火になってきているのは残念である。

 その北海道にプロチームを作るという段階で集まったのが、札幌青年会議所に所属する北海道の若手経営陣で、その中心が石屋製菓の元社長の石水さんであった。
 

「急ぎすぎたJ1昇格」

 設立当時、コンサドーレ札幌に親会社は無かった。運営会社として北海道フットボールクラブが存在するだけで、命令系統がきちんとしていなかったところに問題が有ったともいえる。
 その当時道内の企業からお金を集め会社の資本金を準備し、更に道や札幌市から補助金を貰うという形をとったため、会社を運営する職員は、概ねプロサッカーチームの運営には素人であり、道や市、企業の出向者で溢れていた。そのため誰が責任を取るのか曖昧なまま運営が進められた点に問題があったと言わざる得ない。
 更にJリーグ入りを急ぐ余り、無理な選手補強を繰り返す事でチーム運営費が嵩み、累積赤字が膨大な額となりこの後、減資することになったのは皆さん御承知の通りである。
 もしタラレバがあるとしたら、このときに身の丈に合った経営が行われていれば今のような状況に陥る事は無かっただろう。更にもう一つ追加するなら、プロサッカーチームを北海道に作るに当たって、東芝を誘致する案と、北海道電力を主体とする社会人チームを母体とする両案があった。
 しかし、ここでも早くJリーグに加入できるチームをという事で東芝誘致に決まった経緯がある。その当時のJリーグの盛り上がりを横目に北海道でもあの熱狂を早く味わいたいという当時の設立関係者の思いはわからないでもない。自分がその当事者であればそう主張したかも判らないのでこれ以上のことは言わないがもしタラレバがあれば、運営主体は「北海道電力」で行くべきだったのだろう。
 しかし、現実はそうでなかった。もしそうなった場合、設立に係わった札幌青年会議所のグループの意思がチーム運営に通りにくいという思惑が東芝を選ばせたのではなかった。
 この親会社が無く、船頭が数多く居ると言う状況が札幌を今まで迷わせたといっても過言ではない。現時点でも誰が札幌の運営を仕切っているのか全く持って不透明な状況である。

「北海道フットボールクラブ」

 札幌の運営の主体は、現在道民が中心とする「サポーターズ持ち株会」が筆頭株主である(http://www.consadole-sapporo.jp/mochikabu/outline.html)が、その持ち株会の理事長が運営を左右するわけではない。もしかしたら何らかの意思決定を行っているのかもしれないがその事を知る事は無い。更に理事長の選出も規約に定められているが、あくまでも理事会が理事長候補を決め、その理事会の役員は現職の理事達が会員の中から候補を選び会員に通知し異議が無ければ承認されたとする簡単なものである。
 その他の主要株主に石水さんの名前がある。(http://www.consadole-sapporo.jp/club/pdf/yukashoken-h2012.pdf)しかし、一度札幌が減資したあと増資したとき今後札幌の運営に口を出さないといった経緯がある。それを信じるなら、北海道フットボールクラブの上位株主がチームの運営に口出しをしないということになる。
 それでは、社長が絶対的な権力を持ってチーム運営に当たっているかと言えばそうでもない。何故なら札幌の社長は、発足当時からコロコロと変わっているからである。その殆どが、北海道フットボールクラブの主要株主関係からの出向或いは天下りである。ちなみに歴代の社長は、
斉藤 達 【元川鉄サッカー部部長】(1996-1997)
金井 英明 【其水堂金井印刷社長】(1997-1998)
田中 良明 【元札幌市助役】(1998-2003)
佐々木 利幸 【元札幌市役所局長】(2003-2005)
児玉 芳明 【元道新スポーツ社長】(2005-2008)
矢萩 竹美 【元道新文化事業社社長】(2008-)
である。
見て判るとおり本当のプロクラブを運営した事が無い人が殆どであり、こういった人たちが異業種の経営のプロであってもプロクラブの経営者にはなり得ないといえるだろう。
 このように、経営主体がハッキリしない、社長は名誉職のように見えるという点が、今後の札幌の運営に陰りを落としているといって過言ではないはず。
 
「若手育成」

 現在漸く生え抜きの若手選手がゲームに出るようになり徐々にコンサドーレを主体とするチームに成りつつある感があるが、返す返す残念なのは、今まで札幌で育った多くの選手が他チームでレギュラーとして活躍している事である。
 本当なら、生え抜き選手はチームの顔と成らなければ成らない存在なのにその顔といえる選手が現在のチームに存在しないという事である。
 それを上げるなら、吉原選手、山瀬選手、今野選手、藤ケ谷選手などが上げられるであろう。全ての選手が今も残っていればこれ程弱体化したチームには成らなかっただろう。
 どうしてこのように若手を手放したか?それは若手選手の希望も有っただろう。しかし、少なくとも慰留したように見えないのが札幌の欠点である。

 それは、ヨーロッパの弱小クラブが選手を他のチームに移籍させる事でクラブを維持するという美辞麗句が原因である。確かにそのようにして運営しているクラブがあるが、それは歴史がありそういったことが上手く運営できる組織にクラブ自体が出来上がっているから可能な事である。
 選手を他のチームに移籍させるには、まずその有望な若手選手を見つけ育て上げなければ成らないはずである。その若手を発掘させるためにスカウト網を張り巡らし、選手の補充が絶えることが無い素地がなければ不可能なことである。それを発足間もない札幌が行う事は土台無理な事であったのである。
 今でこそ札幌の他に旭川、函館と下部組織は出来ているがまだまだ不十分である。それが機能するにはまだ10年は掛かるだろう。それまでは、若手の育成と同時に札幌の顔となる選手を育てるべきだったのだ。
 もし、札幌が高額な外国人選手に頼らずチーム内で育成した選手を何年も掛けて育てていけば今頃J1の常勝チームに成っていたはずである。それをせず有能な若手を簡単に手放し、当たるか当たらないか判らない外国人選手を常に補強してきた付けが今になって出ていると思う。
 本当に強いチームを作るならまず育てなければ成らない。例え何人かが他に移籍したとしても不足した分は下部組織から引っ張り上げる或いは高卒選手を採るといった地道なやり方をするべきだったのだ。
 
 これに関しては、サポーターも無責任に補強を言ってきたこともあり、その責任の一端はあるだろう。また夢を見るためにJ1に上がるという目的のため、その事が優先してきたサポーター体質の抜けない会社にも責任があると思う。

「ニトリの件」

 本当にニトリの胸スポンサーからの撤退は痛い。ニトリが札幌の胸スポンサーになってくれたのは、あの石屋の事件があったからである。そのニュースを道新がデカデカと書き上げるというのも札幌にとって痛い事件であった。
 その事件のため、急追札幌の胸スポンサーから石屋製菓が降り、その後を、ニトリが救ってくれたといってよい。この胸スポンサーになるのに最初から2年契約で後が無いという話があったかどうか判らない。しかし、会社としてJ2では宣伝効果は薄いわけで、J1にいることがそもそもの条件であったもかもしれない。
 ニトリは、家具専門店として「薄利多売」で売り上げを伸ばし、今では全国にチェーン店を持つ道内有数の企業と成った。その基本である売り上げは、安い商品を沢山売る事で築き上げたものである。働く社員が多くの物を売り上げた結果である。その利益の一部を札幌に投資しているわけである。その投資を無駄にすることは社長の本心ではなかろうか?
 自分が出資した投資が物になってこそ生き金であり、それが結果的に死に金になっては商売を基本とする社長には許せないように思える。それは一代で築き上げた今の社長の考えだろう。それは、2代目のボンボンが道楽のために金を使うこととは根本的に違うのである。
 どこのプロスポーツチームを運営するに当たり道楽でお金を出す人は本当に少なくなってきた。それは、プロスポーツが商品の一種と考えられてきたからである。何らかの商品価値を生み出さなければ淘汰されるのが当たり前に成ってきたのである。
 上で述べたアイスホッケーしかり、プロ野球もそうである。商品価値を失えば世の中から消えうせてしまうのである。その事は当たり前のようにサッカークラブにもいえる事で、商品価値のつかないクラブにはスポンサーもつかないというのが現状である。

 返す返す残念なのは、コンサドーレの胸スポンサーになると同時に、北海道フットボールクラブの運営主体になって欲しかった点である。ニトリのノウハウを運営会社に注ぎ込んで欲しかった。少なくとも経営の素人が短期間で運営を習得できるはずも無く、更にこの15年の間運営主体の会社は、素晴らしい程クラブを経営して発展できるようなノウハウを掴んだとは端から見てもいえない状況である。この先何年経っても今の状況から抜け出せそうにない。
 

コンサドーレ札幌に願う夢」

 札幌を応援する人たちは、いつか札幌がJ1の頂点に立つことを夢見ていると思う。それは本当に生きている間に叶う夢なのかわからないが、その姿をこの目に焼き付けたいと思う人が殆どだろう。
 その夢を見るために札幌の選手の一人一人の成長を眺め、活躍に一喜一憂するのである。さらにその夢を実現するため試合に足を運び、TVの前に座るのである。

 そしてそれを実現するために会社があり選手がいる。その一人一人がコンサドーレ札幌の一部であるはずである。
 
 この先夢を実現させるためには、やはりお金を出してくれるスポンサーが必要だろう。更に経営責任を厳しく問う監査役も必要だろう。そして、もっと若手育成に力を注がなければならない。
 それを合わせてこれから運営するために、北海道フットボールクラブが無理だというのなら直ぐにでも解散するべきである。もし可能というなら、本当に責任が取れ、将来のクラブの姿を確実に実現させるトップを連れてくるしかない。

 ニトリが胸スポンサーを撤退するに当たりこの文章を書くことを思い至った。このままではいつまでもこの状況を抜け出せないのは明らかである。
 自分の願いであるこの夢を実現させるためにも。