鳩山問題

 7時頃に湧き出してきたように街を覆う靄が道の先を見えなくしている。その靄を通して朝日が照らす。外の気温は手袋なしでは耐えられないほど低い。


 鳩山総理の献金問題について思うことを書いてみる。

引用 日経新聞http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091201AT3S3001330112009.html

偽装献金「全容解明後に説明」 首相、辞任は考えず
 鳩山由紀夫首相は30日午後の参院本会議で、自身の偽装献金問題への責任の取り方について「私に対する司法の判断を待ち、その結果に基づいて首相としての使命を果たしていきたい」と述べ、現時点では辞任しない考えを表明した。自民党の秋元司氏への答弁。

 首相は「心からおわびしたい。何も知らなかった不明を深く感じ入っている」と献金疑惑を改めて陳謝。そのうえで「全容解明がすんだあかつきには、結果を踏まえて私自身が国民に説明すべきだと思っている」として、捜査にメドがついた段階で自身が説明する姿勢を強調した。

 偽装献金の一部に実母の資金も含まれていたとの疑惑については「仮に母親から資金提供があったなら、検察の事実解明を待って、法に照らして適切な対応を取っていきたい」と語った。

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 庶民的な考えからまず思うことは、「お金持ちが自分の私腹を肥やすのではなく掃き出すのは問題無いんじゃないの」だろう。
 昔から村の長は、篤志家が成ってきた。村の税金が無い時代には、その村の代表する金持ちにお金をせびり事業を行ってきた。そして村の意思決定には、少なからず村一番の長者がかかわって来たのである。
 その後、国の権限が強くなると同時に、住民は各々税金をきちんと納めるようになり、そのお金で事業を行うようになると、金持ちの重要性は薄くなってきた。

 そのため、政治家としての能力もあるけれど心が貧しい人間が蓄財に走り、政治と金の問題を引き起こしてきたと言ってよい。
 だから今回のように、金が有り余る人間がどんどんお金を掃き出すのは、却って新鮮に見えるのである。今までなら自分の金を惜しんで、他から無心する政治家ばかりを見ていたのだから。

 鳩山総理が、金の出所をハッキリさせれば今回の件は何の問題ないと思う。回りの誘惑に負けない清廉潔白な政治をしやすいと思うけどどうだろう。
 後は、政治能力があるかどうかで適正を判断すべきだと思う。

<<追記>>
 今回の件、確かに今までの政治家はごまかす事で、信用を失いそれが政治を堕落させてきたかもしれない。今回の件も、同じ事をしているのに何故批判しないのかそう言われるのも当然である。
 もし鳩山さんが受け取った金に後ろめたい金があるならそれはまさしく犯罪である。しかし、例えば今回報道されているように、母親から息子にお金が渡りその処理が法律上間違っていれば法律に照らし合わせて処理すれば良いことであると思う。
 税金を納めていないのなら税金を納めるべきだろうし、記載に誤りがあれば訂正すべきものはすべきだと思う。
 その献金に犯罪性があるなら起訴されるだろうし、犯罪性が無ければ起訴されないかもしれない。
 例えば今までの政治家のようにその献金が賄賂であり、汚職と言う事実があれば鳩山さんは辞職すべきだろう。
 でも今時点で判断するに、違法な献金だけれどもそれによって母親に何か利権を与えたという事実は無い。そのお金は、子供に対する大変高額なお小遣いだったとしか言えないのではないだろうか。

以下は、すこし善悪の判断とは別な観点で述べるが、
 その辺りの件が、どれ程今の日本に重要だろうかと言う事である。今の景気後退をよそに、時の首相のスキャンダルに血道を上げて政治を混乱させるよりは、今は静観するのが正しい方法ではないだろうか。更に言えば今の時期に政治問題化することが怖いのである。
 
 もし、今回の件で鳩山さんが辞職し、他の国会議員が総理大臣になる。参議院選挙でまた混乱に拍車をかけ、国会解散となれば誰が日本の行く末を決めるのだろうか?

 今の時代、評論家はいっぱいいる。
 評論家は、他人の意見を非難或いは賞賛していれば済む。自分が言った事に責任を取る必要が無い、もし責任を取るようなことがあれば尻を撒くって逃げればそれでおしまい。
 ほとぼりが冷めた頃に何食わぬ顔をしてまたぞろ批評し始める。そんな人間が如何に多いかということである。その人間の言葉がどれくらい信じられるかと言う事である。

 今の民主党は、評論家の立場から180度立ち位置が変わり批評される立場にある。その立ち位置の変化に対応し切れていないのが現状だろう。そのためにみんなが右往左往しているように見える。
 それが我慢できるか出来ないかの時がきている。我慢できなくなった人はきっと民主党或いは日本を見限るだろう。しかし、まだ大勢の日本人は、この先の日本の行く末を見守っていようと思っているのではないだろうか。