評価は後で

 まだ外は暗い。しかし昨日までとは違い空には星が瞬いている。今日は晴れるだろう。その代わり冷え込みは厳しそうである。

 

 年が開け、日本の新しい夜明けが来たかというとそうでもなさそうである。

 世間では、マスコミ総動員で現政権の品評会を行っている。それは、自分達が確固たる未来予想図が無いままに今の現状を嘆いて見せているだけで、何の利益をもたらさないものである。

 そこに何ら発展性が無いのが困りものである。その一つが、小泉政権時代の竹中さんの話である。自分の行った政策を正当化するのは構わないが、自分が立案した政策への反省が一つも無いのが残念である。

 それは、自分を正当に評価しない相手に対する、反撃であり自己主張でもある。自分を評価しない相手に対しては、何を言っても無駄であるので敢えて反論せず実績で見返すしかないのであるが、それをするには、あれだけ非難していた為政者側に寝返る必要がある。

 しかしそれができない現状では、言葉で反論するしか無い。でもそれが必ずしも自分の評価を高めることにはならず、世間では、負け犬の遠吠えと見られてしまう。

 物事の結果を見て批評するのは誰でもできる。しかし今の日本に必要なのは、非難ばかりするのではなく建設的な意見を述べるマスコミだろう。

 きっとマスコミの中に日本をダメにしたいと思っている人間がいるのか、それとも日本がだめになることを願う自虐主義者が存在するのだろう。悲観論を述べることで周りを暗くさせ、その悲しんでいる姿を見て自分が安心するタイプなのだろう。

 確かに、今の民主党の政権が安定しているかと言われればそうではない。ボロが見えているのに気づかない人も目にする。そのボロが出た処を必死につついて次の話のネタにしようと考える浅はかな人間の存在を明らかにしようと思っているのだろう。

 完璧な人間は、存在しないはずなのに、あたかもそこに完全な人間が存在し、その完璧な人間がいつでも登場し世界を変えてくれると信じているようなものである。

 世間は、そんなに完璧な人間を求めてはいない。失敗はするけれど、成功をおさめることもできる、その程度の能力で構わないと思っているだろう。

 その辺りのマスコミと世間とのギャップが現れている。それは、今後も改善されることなく続くことは承知の上である。そのギャップの差がどれ程かでマスコミの存在意義が証明されるはず。

 正しいものが勝つとは限らないが、しかしその評価は、この先の未来人が行うもので、今の同時代を生きるマスコミが行う事ではないだろう。h