日本と言う国

 曇り、昨日までの寒さは和らいだ感がある。気温は、マイナス5度前後だろう。予報では、昨日までの寒さが今冬の底らしい。これから先は、春に向かって少しずつ暖かくなっていくようである。

 

 また、マスコミ批判になってしまうが、ここ数年の感覚としての報道姿勢が、「日本人が日本を憎む」と言う傾向があるように思える。

 少なからず批判は必要ではあるが、過度の批判や、或いは批判をするために批判しているようにしか見えない。

 

 今回のトヨタプリウスの問題、マスコミの対応は、その雰囲気がある。

 ブレーキの効きに関しての情報は、技術的に冷静な判断が必要な問題である。本当にその効きが悪いのか、そのブレーキの効き目に関して実験して報道する放送局があってしかるべきだろう。

 マスコミの悪いところは、伝聞をあたかも自分たちが体験したように報じてしまうところである。例えばプリウスを実際運転している人の感想を放送するならともかくそれも無い。

 更に日本なら直ぐにでも販売店にいけば試乗車があるわけであるから、それを借りて実際にブレーキの効きが悪いのか生で報道できるだろう。しかし、そういったことをやる放送局が見当たらない。

 昔、トヨタに対するマスコミの批判のトーンは、番組スポンサーの有無或いは広告の出稿量の差で決まると言われていた。

 今でも大スポンサーであるトヨタの看板は、報道姿勢に影響を与えているのだろう。

 

 今、外国人永住者への参政権の付与についてもめているが、これも根は同じである。

 日本人と言う線引きをどこでするかと言うことである。日本を愛する気持ちがあるなら自分は、参政権の付与に賛成である。しかし、日本を愛する気持ちが無く、自分たちの生活だけを考えている人には、参政権を与えて欲しくない。それは、日本人も同様である。

 もし、自分たちの思う通りの生活がしたいのなら、出来る場所に行くべきである。日本と言う国には、日本にあるルールを守れる人に住んで欲しいと思う。

 最近多いのは、日本人であっても日本を卑下し、そして自分の価値観だけで生きている人である。

 自分の住んでいる国を大事にしようと思うなら、少なくとも隣人を大事にしなければならないし、自分の周りにいる人は幸せになって欲しいと願う人ばかりになって欲しいものである。

 

 今の日本に必要なのは、そういった人間を多く作り出すことである。別に昔の愛国教育をしなさいと言うわけではない。戦争を賛美する教育をしなさいと言うわけでは決して無い。

 しかし、国としてのアイデンティティを持つためには、少なくとも日本人が日本人であると言う教育が必要である。

 ただし、これが極端に過ぎれば、宗教になってしまうのが怖いところなのだが。

 しかし、このくらいの処が平和と言うことなのかもしれない。平和な国だからこそこう言った事も言えるし書けるのだろう。

 

 振り子の針と良く言うが、世界は振り子のように揺れている。それは皆同じ方向に振れていると言うことではない。その局地局地ではバラバラに振れているものが、ある一定数が同期する事で同じ波が世界を覆う。そしてその振動の違いからまたバラけてしまう。その繰り返しが世界の秩序を作っている。

 その中の振り子の一つで有る日本の中にも多数の振り子が存在し、いつかその揺れが同じになると気を待っている。