マスコミの小沢パッシング

 曇り、少し青空が見えている。昨日の真夜中、暖かい風が吹き込んで来たようで、屋根に積もった雪が融けて流れる音が聞こえてきた。たまらず外に出ると夜中とは思えぬ暖かさだった。

 今年の冬も寒暖の差は非常に激しい。今日の朝の気温も、零度前後まで上がった。

 

 マスコミ各社で世論調査の結果が発表されていた。そしてそれを元に各社は、案に小沢辞任を迫っていた。

 それは世論が小沢退陣を言っている様に見せて、実は、自分たちが言っているように見える。

 

 この風景は、どこか見た様な気がすると思えば、一年前の麻生パッシングと同じ光景である。あの時も、麻生総理が、漢字を言い間違えたとか、ホテルのバーで毎晩酒を飲んでいるとか、色々な言われ方をしていた。

 あの時も、自民党が解散せずにいた事に、マスコミは過剰に反応し、麻生総理の足元を掬おうと奔走していた。今考えれば、あの程度のことで良くあれだけ攻撃されたものだ。余程、マスコミの方が麻生さんを嫌っていたようだ。

 この一連の行動は、存在感が徐々に薄れたマスコミが自分たちの存在を誇示しようとしているとしか見えない。その正義の振りかざし方に違和感があるのだ。

 確かに、インターネットという別の情報源が無ければ、世論の考えがどちらに向いているのかマスコミの報道が頼りだった。

 しかし、実際の世論の動向は、マスコミが言うほど関心が無く、騒ぎを遠巻きに見ている野次馬の心理と同じである。もう既に、野次馬の興味は失われ、人の群れに加わっていた人たちが既に歩き出している状態だと言ってよい。

 その人の動きが見えないため、その事件の中心でまだ大声で何かを叫んでいるようにしか見えないのだ。

 ここ最近の傾向だが、自分たちが話題発信の中心であると自負していたものが、失われてしまったことを薄々気づきながら、また過去の栄光が戻ることを期待している姿を見るのは哀れに思える。

 

 今までのルールは、変わっているのである。情報発信の大元は、テレビ、マスコミから既にインターネットに移っている。それでもまだ老人世代は、情報取得のギアとしてまだ、旧来の新聞、TVを使用しているが、50代以下は、既に軸足をネットに移して折、後20年もすればその傾向は確固たるものになっているだろう。

 マスコミも本当に権力があるなら、インターネットの推進を国が言い始めたときに猛反対をして潰しておけば良かったのである。中国のように情報を検閲する様に仕向けて置くべきだったのだ。

 

 この夏の参議院選挙までの期間は注目である。旧来の情報発信の中心だったマスコミがどの様に巻き返しを図るのか。

 更にいえば、不起訴になった小沢さんがどの様な手段を取るのか興味がある。徹底的に戦うのか、それとも宥和政策を取るのか、それとも一部の勢力を取り込み相手の仲間割れを誘うのかだろう。

 しかし、そんなことをしている余裕が日本に有るとは思えない。日本の緊急課題を前にして、別な問題を上げることで国力を下げる努力をしているようにしか思えない。

 

 不思議な国日本では在るが、もし今の困難をこれで克服できるなら、本当に日本に生まれて幸せだったと思うことだろう。

「ガンバレ日本」