オリンピック

 寒さが募る毎日である。もう冷え込む日は無いというふれこみだったが、そうは問屋がおろさなかった。そして今日もマイナス10度近くまで冷え込んだ。

 空は曇り、時折雪がちらつく天気で有る。もう2月の半ばを過ぎ、春一番がそろそろ吹きそうな時期が近づきつつあるが、押しては引く波のごとく季節の変わり目も同様に変わりそうで変わらない日が続くのである。


 オリンピックも開幕と同時に連日日本人選手の活躍が話題になる。新聞などの記事で最近目に付くのは、代表選手に係わる美談や、同郷、学友、親族の記事で有る。

 その記事の内容も、当たり障りないところを記事にするのだろうが、記事の書き手で印象が変わる。読んでいてこちらが恥ずかしくなるような表現も有るわけで、ここら辺り記者の作文能力が問われる。

 ここで少し疑問に思うのは、オリンピック出場選手が全て心も能力も国を代表するに相応しい人として表現される事である。

 決してオリンピックに出ている選手を疑うわけではないが、10代、20代の選手は、日本にいて生活していれば、それなりにそこら辺りにいる普通の若者の一人であるわけで、特別優等生でない人もいるわけである。それを、大会を盛り上げるためにマスコミがスター扱いに祭り上げることに無理が有るわけである。

 今話題の国母選手にしても、あれだけ服装をパッシングし、さらに会見の態度を問題にしたはずなのに、今では、あの服装は競技の象徴だと養護する発言が目立ち初めた。それなら最初から非難するなと言いたい。

 その短期間でコロコロ変わる意見のアンバランスさが気持ち悪い。これだったら他の全てに対しても意見をコロコロ変えるんだろうなという感じがするのである。

 もしかして、最近の擁護論は、国母選手がメダルを取った時の予防策なのかもしれない。メダルを取れなかった時の論調を見守りたい。